77年公用地法失効、基地不法使用に 市民運動、安保に風穴


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「安保に風穴を開けた4日間」について語る反戦地主の島袋善祐さん=11月、沖縄市知花

 「沖縄基地を不法使用」。沖縄の日本復帰から丸5年となった1977年5月15日、琉球新報は朝刊1面にそんな見出しを掲げた。前日の14日、5年間の公用地暫定使用法の期限が切れ、米軍や自衛隊が民間地を基地として使う法的根拠が無くなった。あの「安保に風穴を開けた4日間」から40年。基地反対運動を担った人らは今、党派を超えた「新基地反対」のうねりに当時との共通性を読み取る。

 1977年4月26日、公用地暫定使用法の延長と基地確保法案について「与野党間の妥協成立」が表面化した。その夜、東京で法案に反対する総決起大会が開かれ、沖縄から上京した反戦地主ら150人を含む約7千人が参加。首相官邸などに向けてデモ行進した。

 そうした市民の行動に押されてか、社会、公明、共産の野党3党は翌27日、「公用地暫定使用法の延長は絶対に認めない」との立場を明確化し、5月14日、同法は失効した。

 沖縄大学名誉教授の新崎盛暉さん(81)=沖縄近現代史=は「県民の怒りが議員を動かした。『新基地はおかしい』とオール沖縄が形成された今の社会的雰囲気と似ている」と指摘する。

 基地使用の法的根拠が無くなった15日以降、反戦地主は土地の明け渡しなどを求めて行動を開始した。16日は伊江島の米軍基地、那覇市の自衛隊基地に立ち入った。沖縄市の農業、島袋善祐さん(81)は18日、自らの土地がある米軍キャンプ・シールズにトラクターで乗り入れた。

 島袋さんは基地内の土地を耕作し、ニンニクの球根を植え付けた。持参した看板も立てた。そこには「防衛施設庁とアメリカ軍に告ぐ ここは私の土地です。許可なく立入、使用を禁ず」と書いた。

 当時、共産党衆院議員だった故瀬長亀次郎氏は、16日の日記に「壮大な統一闘争の中で地主の創造性を発揮して多面的闘争を」と記した。18日には故阿波根昌鴻さんらと伊江島の基地に立ち入り「立て看板かかげ草刈り。成功だ」とある。日記を読んだ新崎さんは「反戦地主の独創性に瀬長氏も感動している」と語る。

 新しい基地確保・地籍法は18日、成立・施行され、法の「空白」は4日間で終わった。

 40年後の今も軍用地の契約を拒否している島袋さんは「祖先が子や孫のためにと作った財産だ。人殺しの軍隊に貸すわけにはいかない」と強調する。

 名護市辺野古の新基地建設に対し、県民多数が党派を超えて反対している。島袋さんは「安保に風穴を開けた」40年前の社会的雰囲気と似てきたとし「一人でも踏ん張り続けることが大切。それが歴史になる。反対する人がいなければ、新基地は既に造られていたはずだ」と力を込めた。
(真崎裕史)