移民の経験、資源に 那覇で島嶼学シンポ


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「島嶼」「移民」をどのように沖縄の資源としていくのか考察した島嶼学シンポジウム=18日、那覇市首里金城町の県立芸術大学付属研究所

 沖縄県立芸術大学島嶼(とうしょ)学シンポジウム「沖縄の人の移動と未来への展望―島嶼・環境・文化―」が18日、那覇市首里金城町の県立芸術大学付属研究所で開かれた。同研究所主催の「しまくとぅば実践教育プログラム開発事業」の一環。文学や生物学、人間環境学などの研究者が「島嶼・環境」「島嶼・文化」をテーマに報告し、沖縄が今後、島嶼であることや移民という経験をどのように資源としていくのかについて課題を共有し、考察を深めた。

 法政大学沖縄文化研究所の中俣均所長(人文地理学)は、渡名喜村役場に現住人口とは別に島を本籍地とする人口が表示されている事例から、人口と土地の関係の在り方について考察した。「本籍人口数は現住人口の3倍以上あり、島の豊かな可能性を示している」と説明し「島嶼県は、海外移民など人の移動を経験している。現住人口のように一人の人が一つの土地に固定されるのではなく、一人が複数の土地に関わっていく姿を発信できるのではないか」と投げ掛けた。

 高知県立大学文学部の飯髙伸五准教授(社会人類学)は、パラオのガラスマオという集落で、沖縄の安里屋ユンタのメロディーで鉱山労働の場面を歌った歌が残っている事例を報告。日本統治下末期のパラオで、沖縄人が他の日本人と比べて差別的扱いを受けながら過酷な労働に従事した背景を説明し「現地人と沖縄人は、帝国主義の周辺的存在という意味で共通している。十分な検証は難しいが、沖縄人と現地人との間に緊密な接触があり、そこからこの歌が生まれたのではないか」と推察した。

 仲程昌徳琉球大学元教授は「南洋文学と人の移動」をテーマに基調講演した。石垣島の女性が幼いころ辻に売られ南洋、台湾に渡った生涯を描いた映画「ナミイと唄えば」などを紹介。「沖縄の人は移民により、食や芸能などさまざまな文化と出合い、文化を生成したと思われる」と述べた。