公人の誤認発信 頻発 拡散し、デマ誘因に ネラー総司令官発言


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 米軍普天間飛行場の成り立ちについて、米海兵隊トップのネラー総司令官は「建設当初の写真を見ると、数キロ以内に住む人はいなかった」などと述べ、沖縄戦以前に集落があり、人が暮らしていた歴史を無視した発言をした。これまでも米軍関係者らは普天間飛行場の成り立ちを巡る誤解や、歴史を無視した発言を繰り返してきた。インターネット上にも同様の認識を示す書き込みがあふれている。政府関係者や著名人による発言で誤解が強まり、広まっている状況がある。

 普天間飛行場となっている場所にはアジア太平洋戦争前は集落が存在し、戦前、宜野湾村役場や国民学校があった。沖縄戦で避難している間に米軍が土地を接収し、当時暮らしていた人々は基地周辺での生活を余儀なくされている。

 2010年6月、在沖米四軍調整官事務所長のケビン・ビショップ大佐(当時)は県議会の代表者に「周辺には最初(住宅など)何もなかったが、みんなが住むようになった」と発言した。普天間飛行場が住宅密集地と隣接していることについて米国内ではあり得ないという批判に反論した際に述べた。

 ケビン・メア米国務省日本部長(当時)は10年末、国務省内で米国の大学生らに対し「普天間飛行場は特別に危険ではない」「もともと田んぼの真ん中にあったが、今は街の中にある」などと伝えた。在沖米総領事だった06年には「普天間は特別ではない。飛行場として特に危ないとは思わない」とも述べている。作家の百田尚樹氏は15年6月、自民党若手議員の勉強会で「普天間基地は田んぼの中にあり、周りには何もなかった」などと発言した。