沖縄高校野球 歴史紹介 県博の外間氏 栽監督の歩みも


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栽弘義さんの手帳の中身などを説明する県立博物館・美術館の外間一先主任学芸員=12日、那覇市の県立博物館・美術館

 沖縄の高校野球の歴史などをテーマにした県立博物館・美術館の学芸員講座「沖縄・高校野球 ネバーエンディングストーリー~熱闘 本気の夏100回目~」が12日、那覇市の同館で行われた。講師を務めた外間一先主任学芸員は県内の高校野球に関する資料や写真、映像を見せながら説明し、集まった62人はノートにメモを取り、真剣な表情で耳を傾けた。

 6月の企画展で初公開する豊見城高校や沖縄水産高校などで監督を務めた栽弘義さんの手帳を中心に写真で紹介した。手帳は1990年と91年の夏、甲子園で連続準優勝した年代のもの。その中で秋季九州大会で鹿児島実業に延長で敗れた試合では「アホ」「腰の入らない振りで三振。矯正する気がない」など怒りに近い厳しい言葉が並ぶ。一方で91年の夏の甲子園で再び当たった時には「スライダーを深追いしない」と選手分析の言葉のほかに「後の成功はその前の仕様にある」「九州大会の仇をとれ」と選手、自身を鼓舞する言葉も記されていた。

 手帳の調査をした外間主任学芸員は「このノートを知って、もう一度当時の映像を見ると栽先生目線でゲームが見られる、非常に面白い資料だ」と語った。さらに、県内への野球の広がりについても説明。1894年に当時の沖縄中(後の一中、現在の首里高校)が修学旅行で京都を訪れた際に三高(現在の京都大学)の学生に教えてもらい、沖縄に野球が伝わったとした。その後、戦争が始まったことで一度は野球ができなくなったものの、戦後は米軍の物資を野球用具に加工したり、提供してもらうなどし、野球をする環境が戻ってきたという。

 話を聞いた益山秀二さん(49)=沖縄市=は「外間さんの話が大変わかりやすかった。栽さんの手帳を見ると勝負に対しての執着心がすごいなと思う」と語った。

 栽さんの手帳や首里高校が甲子園初出場時の日の丸の寄せ書きなどの資料を展示する企画展「熱闘 高校野球 本気の夏 100回目」は6月5日から同館で行われる。6月16日午後2時からは東京大学野球部の浜田一志監督を講師に迎えた文化講座も開かれる。