「慰霊の日」がある6月になると沖縄県内の小中高校では戦争体験者の講話を聞いたり、沖縄戦のアニメや記録映像を見たりする平和学習が行われている。新聞紙面には連日、各学校での平和学習の様子が掲載される。一方、未就学児の平和学習はあまり目にしない。「平和学習が盛ん」と言われる沖縄だが、未就学児の平和学習は小中高校と比較するとそれほど行われていないようだ。那覇市のあじゃ保育園では10年以上前から6月を「平和月間」と位置づけ、平和学習に取り組んでいる。5歳の子どもたちに「戦争」や「平和」をどう伝え、考えさせるのか―。
■いつも会うお年寄りから聞く戦争
「慰霊の日」の前日の6月22日。5歳児クラス「くじら組」の23人は保育園隣の特別養護老人ホームに出向いた。月1回行われているお年寄りとの交流の日だが、この日はいつもとは違う。自分たちが学んだ戦争や平和について発表し、お年寄りの戦争体験を聞く「平和学習会」が行われるのだ。
「73年前に沖縄で戦争がありました。ここにいるおじいちゃん、おばあちゃんは戦争の中を力強く生きてきた人たちです」。いつもと異なる様子に少し緊張気味の子どもたちに特養の職員がこう紹介する。
「おじいちゃん、おばあちゃんに聞きたいことがある人?」の質問に次々手が上がる。
「戦争の時、保育園や学校で楽しかったことは?」「戦争の時、なんで逃げたの?」「何を食べていたの?」
沖縄戦当時、7歳だった池原栄昇さんは「食べ物には苦労したよ。兵隊が残した物を食べた。今のあなたたちのようにお菓子はなかったよ」と質問に答え、「戦争はやってはいけない。やらないように行動しないといけないよ」と語りかけた。
■保育の中で伝える「戦争」「平和」
この1カ月、子どもたちは折り紙を折る、絵を描く、絵本を読む、歌を歌うという日常の保育の中で、戦争や平和について考えてきた。
「平和の礎に行くから折り紙で鶴を折るよ」と各自、数枚の折り紙を家に持ち帰り、親子で鶴を折る。そこでは自然と73年前にここ沖縄で戦争があったこと、平和の礎には戦争で亡くなった人の名前が刻まれていることなどが話題になる。
教室には平和絵本コーナーが設けられ、「へいわってすてきだね」「つるちゃん」などの絵本が手に取りやすい位置に置かれる。ひらがなを覚えたての子どもたちは、それを手に取り自分で読む。保育士による読み聞かせもある。
それから、地域の慰霊塔や沖縄県平和祈念資料館、平和の礎、ひめゆり平和祈念資料館に行き、展示や学芸員の説明、保育士の語りかけから73年前にあった戦争について知る。
保育園に帰ってくると、学んだことを絵にした。黒や茶色、赤といった暗い色で描かれた戦争の絵。爆弾を落とす飛行機。ガマの中で泣く人たち。倒れている人。「ガマに隠れていたら兵隊に『でてこい』と言われたところが怖かった」「お母さんと離ればなれになったところが悲しかった」とそれぞれに感じた「戦争」を絵にした。
■なぜ5歳に平和学習?
「怖い」だけで終わらせてはいけないと、もう一つ子どもたちは絵を書いた。それは子どもたちが考える「平和」の絵。大海原を泳ぐクジラに笑顔の子どもたちが乗っている。虹の橋を渡っている子もいる。「戦争」の絵とは違い、色とりどりで鮮やかだ。
三木元子園長は「小さい子だけど、絵本を読み資料館に行き、戦争の悲惨さを知って私たちはどうすればいいのか、何か感じることはできるのではないか」と話す。三木園長自身、先の大戦の時は5歳。出身地の新潟県長岡で空襲を経験した。「田んぼの中を母、おばあちゃんと逃げ回ったことを今でもよく覚えている。ちょうどくじら組の子どもたちと同じ年。子どもたちも今見たこと、聞いたこと、話したことを心の中に刻んでくれるのではないか」と考えている。
平和学習会で「平和って何?」と聞かれた子どもたち。たくさんの手が上がった。
「何でもできること」
「昔と違って食べ物がいっぱいあること」
「いっぱい遊べること」
「いろんなものがあること」
「いろんな人が踊って歌って楽しいこと」
元気いっぱい答えていた。
(玉城江梨子)