1945年の沖縄戦で米軍は県人捕虜3600人余をハワイに送ったが、その理由は体験者にとって最大の謎だった。「沖縄の収容所の環境悪化を懸念」「移送の準備は整った」。米軍文書に記載された事実が73年を経て明らかになった。識者は米軍の管理運営上の都合で、移送された可能性が高いことを指摘した。日時や約1年半に及んだ抑留の理由なども判明した。元捕虜たちは一様に驚き、体験継承の後押しにつながると期待した。
ハワイの収容所で亡くなった捕虜12人の慰霊祭が昨年6月、初めて開催された。慰霊祭実行委員会は報告書で「なぜ移送されたか大きな疑問」と記した。実行委共同代表で元捕虜の渡口彦信さん(91)=読谷村=は「今になって見つかるとは。驚きとしか言いようがない」と資料を食い入るように見詰めた。「環境悪化を懸念していたという理由は説得力がある。ハワイで捕虜はきちんと3食を取ることができた」と振り返った。また「具体的な事実が判明し、ハワイ捕虜の記憶と記録の継承が進む」と期待した。
捕虜の中には全裸のまま2週間、船底に押し込められたままハワイへ移送された「裸組」もいた。古堅実吉さん(88)=那覇市=は渡口さんと共に裸組だった。古堅さんは捕虜の遺骨が沖縄に戻っていないことに「遺骨の行方の究明にも役立つのではないか。国と県は民間の研究に任せっきりにせず、戦後処理問題の一環として解決に取り組んでほしい」と願った。
元捕虜の神谷依信さん(89)=那覇市=は「軍国主義の下、捕虜になるくらいなら自決せよと言い聞かせられてきた。戦後も捕虜は恥だという意識があり、ハワイに送られた多くの元捕虜は証言しなかったのではないか」と話した。