5日に87歳で死去した沖縄人権協会理事長、福地曠昭さんの告別式が7日、那覇市松山の大典寺で執り行われた。生前、福地さんが熱心に取り組んだ平和運動の仲間や友人、親族ら多くの人が参列し、「沖縄のために全てをささげる信念の人だった。優しくいろんな人に好かれていた」と振り返り、最後の別れを告げた。
弔辞を読んだ石川元平さん(80)は、福地さんが願い闘い続けた平和な沖縄づくりは「いまだ道半ば」と指摘。辺野古の新基地建設や自衛隊基地の増強など依然多くの課題を抱えていることから闘い抜くことを誓い、「どうぞニヌファブシ(北極星)のように私たちを導いて」と、優しくほほ笑む福地さんの遺影に訴え掛けた。
福地さんと、1960年代から復帰運動、大衆運動を共にしてきた元社大党委員長の仲本安一さんは「兄弟のような仲だった」と振り返る。福地さんについて「復帰運動を裏方で支え、人権問題や教職員の待遇改善にも力を注いだ。功績はこれからも私たちの心に残ると思う」と故人を悼んだ。