〈翁長雄志氏を悼む〉信じる道 尽くした政治家 稲嶺恵一


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稲嶺 恵一元県知事

 僕と翁長君はきょうだい門中でもあり、もう40年来の付き合い。父が参院選に出る時は翁長さんの父である助静さんが選対副本部長を務めた。僕が知事選に出る際に影響を及ぼしたのは翁長雄志。政党人として唯一推してくれた。僕の人生を彼が変えた。翁長さんが市長選に出る時は、難しい一本化を知事公舎で進めた。思い出がたくさんある。胸にぽっかりと穴が空いた。さみしい気持ちだ。

 僕のところによく来ていたが、翁長さんが知事選に出る時は「ご迷惑をお掛けするからもう参りません」と言って、その後は会っても基地問題の話には触れなかった。気にしていたが僕も助言できなかった。

 日米安全保障が必要なら全国民でその負担を受けるべきだとの彼の考えは僕も一緒だ。ただ、基地問題は本当に難しい。大田さん、僕、仲井真さん、翁長さんまで続いても解決しなかった。沖縄が27年米国の統治下にあったため日本全体も当事者意識が薄い。厚い壁をそれぞれの立場で追い掛けたが、はね返された。翁長さんも矢折れ、刀尽きたと思う。僕が解決できず、翁長さんの命を縮めた責任の一端を感じる。

 翁長さんは、若い頃から琉球人としての意識を持った政治家だ。保守だが沖縄の主張をする。純粋な人間で、信じる道を全身全霊尽くして去って行った。なんとか基地問題を解決したいという、翁長さんの思いを大事にしたい。沖縄が割れてしまっては駄目だ。一丸となって政府とコンセンサスをとることが大事だ。
 (元県知事、談)