命懸け闘い続ける 翁長知事、最期まで決意固く 力振り絞り撤回表明


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前知事の埋め立て承認撤回表明へ記者会見会場に入る翁長雄志さん(右から2人目)=7月27日午前10時30分、沖縄県庁

 「信じられない」「まさか」。強権的な国に対し、政治的な立場を超え、県民全体の願いとして過重な基地負担の軽減を訴えてきた県知事の翁長雄志さんが8日に死去した。県内には衝撃と悲しみが広がった。重い病と闘いながら名護市辺野古の新基地建設に向けた埋め立て承認の撤回を表明し、最期まで公約実現を目指し尽力した翁長さん。辺野古の現場で抗議行動を続けてきた市民は「まだ道半ばだった」「大きな柱を失った」と別れを惜しみ、翁長さんの遺志を継承する思いを新たにした。

 8日午前、翁長雄志知事の後援会会長、国吉真太郎さんが、浦添総合病院に翁長さんを見舞った。枕元に青い帽子があった。青は、11日に開かれる辺野古新基地建設断念を求める県民大会のテーマカラーだ。翁長さんの頭に青い帽子を載せると、顔がほころんで見えたという。

 国吉さんは先月27日の「撤回表明会見」が強く印象に残っている。同日午前10時半ごろ、県庁6階の会見場に翁長さんが姿を現した。頬はこけ、2カ月余り前の退院時よりさらに細くなっていた。カメラの放列を前に、背筋をすっと伸ばす。表情には強い決意がみなぎっていた。

 「20年以上も前に決定された辺野古新基地建設を、見直すこともなく強引に推し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではない」

 名護市辺野古の新基地建設を「あらゆる手法で阻止する」と繰り返してきた。中でも埋め立て承認の「撤回」は工事を阻止する「伝家の宝刀」と位置付け、自身の口で表明したいとの意思を周囲に示していた。

 会見では手ぶりを加えながら、撤回に踏み切った理由や政府への不信感を語った。3年前の県民大会では「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と述べ、ウチナーンチュとしての矜持(きょうじ)を示した。

 会見の直前、翁長さんはエレベーターに乗る直前に歩けなくなり、十数秒間、壁にもたれて休んだという。国吉さんは「政治家として言うべきことを凝縮した最後の言葉だったのかもしれない」と振り返る。会見の3日後、翁長さんは緊急入院した。