知人に「2期目絶対やるからな」 地元に愛された翁長雄志さん 居酒屋〝会議〟で熱く


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 宮城 久緒
栄町市民大学開校式で講演する翁長雄志さん(当時那覇市長)=2009年4月25日午後、那覇市安里の栄町市場

 知事選投開票日の前日となった2014年11月15日夜、選挙運動の打ち上げ式が終わり、つかの間の安堵(あんど)感に包まれていた翁長雄志さんの選挙事務所に、翁長さん本人の姿はなかった。家族や後援会幹部にも告げず、翁長さんが向かったのは那覇市安里の栄町市場。午後9時ごろ事務所に戻ってきた翁長さんは、赤ら顔で「栄町で一人で打ち上げをしてきたよ」と明かしたという。

 那覇市大道で生まれた翁長さんは、栄町市場の周辺が幼い頃の遊び場だった。母・和子さんは市場内の通称「豆腐屋通り」で、かまぼこや漬物、雑貨を売る店を営んでいた。小学生の翁長さんは学校が終わると、店にランドセルを放り投げて遊びに向かった。

 和子さんの店があった場所の道向かいで、今も店を営む比屋根和子さん(78)は、翁長少年の様子を覚えている。比屋根さんは「翁長さんのお母さんには、商売をいろいろ教えてもらった。明るく話し掛けてくれた」と語る。市場内の各店は盆や正月以外は店を開けており、翁長少年が店先で紅白かまぼこの色付けを手伝う姿もあった。

 翁長さんは1985年に那覇市議当選後、県議2期、那覇市長4期を務めている時も、たびたび栄町を訪れた。街の商売人から愛されていた。

翁長雄志さんの好きだった赤ワインをカウンターに置き、共に過ごした日々を語る宮里千里さん=9日、栄町市場

 翁長さんが那覇市長に当選した2000年、人事異動の発令に宮里千里さん(64)は「まさか」と驚いた。就任したばかりの翁長さんがつくった役職「市長公室長」に宮里さんを登用したからだ。

 翁長さんの父・助静さんと、宮里さんの父・栄輝さんは戦後、真和志村長選などで激しく競った政敵同士だった。互いの父親の闘いは熾烈(しれつ)で「南北戦争」とも言われた。父親の政敵の息子を市の幹部ポストに充てるとは思ってもいなかったという。

 宮里さんの市長公室長就任以来、翁長さんが大切な決断をする時は「豆腐屋通り」沿いにある居酒屋に共に向かった。口角泡を飛ばして熱く語る翁長さん。那覇市の人事、教科書検定意見の撤回を求める県民大会でのあいさつ…。居酒屋での〝会議〟は知事就任まで続き、いつしか2人は周囲から「盟友」と言われた。

 「翁長さんはいつも早口で、思いの丈を身ぶり手ぶりをつけて話すんだよ」。翁長さんが亡くなった翌日の9日、翁長さんがいなくなったカウンターで宮里さんが語り始めた。翁長さんは06年に胃がんを患い、胃の全摘手術を受けた後から、赤ワインを好んで飲んでいた。

 宮里さんは「これは雄志のワインだ」と、翁長さんがいなくなった居酒屋のカウンターに、注文した赤ワイン一杯を置いた。「いつもワーッと翁長さんが話して私は聞く方。『所信表明はこうしたい』とか、1時間以上考えを話し続けることもあったよ」と振り返る宮里さんの目は潤んだ。

 宮里さんによると、翁長さんが最後に栄町を訪れたのは、2月11日に開かれた栄町市場の新年会。翁長さんは石原裕次郎のまねをしながら那覇市歌を歌い、「栄町市場おばぁラッパーズ」とステージで踊った。

 帰り道、翁長さんを自宅まで送り届ける道すがら、宮里さんに打ち明けた。「2期目絶対やるからな。絶対引かない」。幼い頃から通った街で、2期目の出馬を堅く誓っていた。(池田哲平)