復興へ前進する人々 豪雨被災愛媛県 本紙記者ルポ 生活、産業など被害幅広く


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ミカン畑で発生した土砂崩れ。農薬を散布するスプリンクラーのパイプがむき出しになり、復旧までに長い時間を要するとみられる=4日、宇和島市吉田町

 ミカン畑が連なる緑の山々は崩落し、河川の氾濫に飲み込まれた住宅は激しく損壊していた。7月6日夜から7日の明け方にかけて発生した西日本豪雨により、愛媛県は甚大な被害を受けた。豪雨災害の発生直後から被害状況の報道を続ける同県の地方紙・愛媛新聞を支援するため、7月30日から8月13日まで被災地で取材を続けた。現地では豪雨災害で多くを失った人々の悲しみとともに、災害から立ち上がり前進する力強さを肌で感じた。

ミカン被害深刻

 取材の拠点としたのは、死者11人が出た愛媛県宇和島市だった。県内でも有数のミカンの産地で、海ではマダイや真珠などが養殖されている。同市吉田町では土砂崩れによる死者が出たほか、河川の氾濫で商店街が水に漬かるなど大きな打撃を受けた。特産品であるミカンの被害も深刻で、山の斜面の崩落によって多くのミカン畑が流された。

 「何から手をつけていいのか分からない状態です」。自らの畑が被害を受けたミカン農家の男性は取材に対し、言葉を絞り出すように話した。吉田町では土砂崩れでミカンの木が根こそぎ持って行かれた場所も多く、農業関係者は「畑として再生できるかは不透明だ」と頭を抱える。土砂が根元に滞積することで呼吸ができなくなり、ミカンの木が枯れることも予想されるという。畑に農薬を散布するスプリンクラーも土砂崩れで破壊され、農作業に遅れが生じている。

 ミカンの仕分けなどを行う玉津共選場(吉田町)の山本計夫共選長は「土砂が農道をふさいで、自分の畑に行けない農家も多い」と現状を説明した。畑の崩落や農業機械の破損など、豪雨災害がミカン農家に与えた被害は計り知れない。取材した時には農家が自ら重機を動かし、土砂に埋もれた農道の復旧作業を進めていた。山本氏は「今からが大変だが、後ろは向かない。私たちのミカンを待っている人のために階段を一歩ずつ上っていく」と強調した。豪雨災害で苦しみや悲しみを味わいながらも、伝統のミカン産業を守り抜くという強い決意を感じた。

家屋の裏側で発生した土砂崩れ。土砂が家屋の一部を破壊していた=1日、宇和島市吉田町

真珠養殖に影響

 西日本豪雨の被害は水産業にも及んだ。愛媛県は養殖真珠の生産量が国内トップで、大規模な土砂崩れが発生した宇和島市吉田町でも7事業者が真珠を育てている。豪雨災害後の真珠養殖の状況を取材するため、同町の養殖業者を訪ねると「海の被害に目を向けてくれる人は少ないんです」と言われた。斜面の崩落や住宅の浸水など被害が目につきやすい陸上部分とは異なり、海中の状況は見えにくいことから支援の動きが鈍いように感じているという。「ミカン農家や住宅地をいろんな人が視察するニュースを見るけど、海まで来てくれる人はいないね」。業者の男性はあきらめ顔で話した。

 西日本豪雨では多くの土砂が海に流れ込み、真珠の養殖場にも泥の一部が到達した。男性の養殖場でも真珠を育てる貝に泥が付着する被害が出た。貝が死ぬことはなかったが、通常とは異なる環境下で育つことにより、真珠の生育に影響が出ることを懸念している。取材の最後に男性は「豪雨災害の影響は海にもある。そのことをちゃんと理解してほしい」と願いを込めた。災害で発生した被害の隅々まで目を向けて、当事者の声を聞くことの大切さを強く認識させられた。

小学校に設けられた避難所。段ボールで仕切られた狭い空間で高齢者や家族連れが生活していた=7月31日、西予市野村町
河川の氾濫に巻き込まれ損壊した住宅。屋内ではがれきが山積みとなっており、住民が撤去作業をしていた=7月31日、西予市野村町

営業再開道半ば

 豪雨災害の被災地を取材すると、予期せぬ事態に遭遇し、失ったものの大きさに肩を落とす人たちの声を耳にして、胸が痛くなることが多くあった。同時に、苦しい時期を乗り越えて前に進もうと汗を流す姿にも出会った。

 河川の氾濫で多くの店舗が浸水した吉田町の商店街では、災害から1カ月が過ぎても営業再開できない店舗が多い。商店街の各店舗では屋内に流れ込んだ泥を洗い流し、浸水で壊れた業務用機器や店舗の修復を進めていた。

 商店街の事業者が加盟する吉田三間商工会の水谷一良会長は「大きな災害があったけど僕たちは必ず復興する。そのことをちゃんと記事にしてよ」と言っていた。商店街で出会った人たちは「まだまだ先は見えないけど、どうにか頑張らないとね」と、営業再開に向けて作業を進めていた。

愛媛新聞の記者として行政関係者を取材した時の様子=11日、宇和島市の宇和島駅

 愛媛で取材をした2週間、たくさんの人に出会い、さまざまな話を聞き、愛媛新聞の紙面を通じて情報を発信した。西日本豪雨が愛媛に残した爪痕は深く、復興まで長い期間が必要なのだと考えることが何度もあった。今後も被災地の状況に目を向け、いろいろな形で支援を続けることが復興の手助けになるのだと感じている。
 (平安太一)