沖縄県知事選の立候補者4人はこんな人 経歴と主な主張(13日午前10時30分現在)


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沖縄県庁(資料写真)

 翁長雄志沖縄県知事が8月8日に亡くなったことに伴って行われる沖縄県知事選挙。13日に告示され、4人が立候補した。

各候補のプロフィール経歴を立候補の届け出順に紹介する。

 佐喜真 淳氏

佐喜真淳氏

前宜野湾市長

1964年生まれ、54歳

宜野湾市出身。千葉商科大卒。

空手は3段の腕前。大学卒業後にはフランスに渡り、空手を教えながら語学を学び、7年近く過ごした。海外生活の経験もあってか、「少年よ大志を抱け」が座右の銘だ。

父の博さんは宜野湾市議会議長を務めていたが、公務中に、くも膜下出血で倒れ、帰らぬ人になった。当初、自身は政治の世界に入る気はなかったが、周囲の声に推される形で補欠選挙に出馬して当選し、2001年に宜野湾市議となった。市議を2期、県議を2期務め、12年から18年まで宜野湾市長を2期務めた。

市長就任後は普天間飛行場の危険性除去や早期返還を訴えるため、3度にわたり訪米した。菅義偉官房長官ら政府高官と繰り返し面談し、基地負担軽減を求めた。

行政経験の豊富さを自負し、市内にある米軍普天間飛行場の一日も早い返還を県や政府に強く求めてきた。

翁長雄志氏へは「沖縄の過重な基地負担を全国に知らしめ、功績は非常に大きかった」と評価する一方で、国との関係が分断されたと批判する。「対立から対話へ」と、国との協議の必要性を説く。

県内移転となる辺野古移設の是非について、市長時代からは封印。知事選でも「基地や安全保障の問題は国が決める。自治体には外交権限がなく、努力の限界がある」と一貫する。

スポーツ全般が好きで、好きな食べ物は肉という。性格は「実直」「誠実」「我慢強い」という一面も。政治モットーは「対立や分断よりも協調」「未来志向」だ。妻と1男2女。


 

 玉城 デニー氏

玉城デニー氏

衆議院議員

1959年生まれ、58歳

うるま市出身。上智社会福祉専門学校卒

人気ラジオパーソナリティーを務めている時に行政や政治の勉強会に参加していたことが縁で「世の中の役に立ちたい」と一念発起。2002年に沖縄市議会選挙に出馬しトップ当選した。

市議時代に「地方自治を見直すために国政を変えるしかない」と痛感し、05年に民主党公認で衆院選に初挑戦したが落選した。09年に政権交代の風に乗り約9万票を得て初当選を果たす。12年7月に消費増税に反対して自らが師と仰ぐ小沢一郎氏と共に民主党を離党し、同12月の衆院選に臨んだ。政権への逆風のあおりを受けて落選するも比例代表九州ブロックの最後の議席で復活当選した。14年の衆院選では小選挙区で勝利し、前回の雪辱を果たした。17年の衆院選では無所属で出馬し、4期目の当選を果たした。現在は小沢氏が代表の自由党で幹事長を務める。

最大の争点である辺野古新基地建設については「翁長知事の遺志を受け継ぎ、辺野古に新たな基地は造らせない。普天間飛行場の閉鎖・返還を一日も早く実現するよう政府に強く要求する」と主張する。

「新時代沖縄」を提唱し、アジアのダイナミズムを取り入れた誇りある豊かな沖縄を実現するために、新たな沖縄振興計画の策定や「観光・環境協力税」の導入などを打ち出している。

座右の銘は「天は正論に信念と勇気を与える」。政治信念は「誰一人取り残さない」。気さくな性格で多くの人から「デニーさん」と呼ばれる。ロックをこよなく愛する。食生活は野菜中心という一面も。本名は玉城康裕(やすひろ)。妻と2男2女。


 

 渡口 初美氏

渡口初美氏

琉球料理研究家 元那覇市議

1935年生まれ、83歳。

那覇市出身。那覇高卒。93年から那覇市議を1期4年務めた。

「老いも若きも安心して街づくりができる沖縄を目指す」


 

 兼島 俊氏

兼島俊氏

元会社員

1978年生まれ。40歳

沖縄市出身。陽明高校卒。フリーターを経てIT企業に勤務

「沖縄のために何かしたい。一般県民の意見から課題を吸い上げ片付ける」