【島人の目】サルデーニャ島独立論


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 イタリアのサルデーニャ島は、先月このコラムで言及したように一見すると「本土から遠く離れた明るいリゾート地」という沖縄とよく似たポジティブな一面を持つ。だがサルデーニャ島には、もっと深刻な部分でも沖縄との類似点が多い。

 サルデーニャ島は古代からアラブ人を含む多くの力に支配された後、18世紀にイタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国が所有した。サルデーニャ島を獲得したサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。国名こそサルデーニャ王国になったが、王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家をはじめとする権力中枢からは2等国民と見なされた。

 1861年、支配者のサヴォイァ家がイタリア統一を成し遂げたため、サルデーニャ島は統一イタリア王国の一部となった。だが「依然として」サルデーニャ島は、イタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

 それは第2次大戦後、イタリアが奇跡の経済成長を成し遂げた時代になっても変わらず、サルデーニャ島民の不満が募った。結果、島には一時期イタリアからの独立を求める動きが活発化した。現在は下火になったが、サルデーニャ島にはイタリア駐留NATO軍の60%にも当たる部隊が置かれ、イタリア本土との経済格差も大きいことなどが常に島民をいら立たせている。

 不当な扱いを受けながらも、深刻な独立運動が影を潜めているのは、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。米軍基地の過重負担と差別に悩まされながらも、経済発展という目先の利益も無視できない沖縄のジレンマとうり二つなのである。
(仲宗根雅則 イタリア在、TVディレクター)