政治
知事選 9・30

沖縄県知事選 存在感見せた翁長氏 樹子夫人登壇で玉城陣営の潮目変化

 選挙戦終盤、圧倒的な運動量を誇る自公勢力が支援する佐喜真淳氏が「優勢」との世論調査の情報が駆け巡った。玉城陣営に衝撃が走る。

 「樹子さんが出ないと戦えない」。玉城陣営幹部は「デニーカラー」を前面に出す作戦を切り替え、故翁長雄志知事の存在を押し出すことに注力する。そのためには妻樹子さんの協力が不可欠だった。喪に服す樹子さんは打診を受けるも選挙戦に関わることに難色を示し続けた。那覇市議の息子雄治さんにも「私は表に出ない」と伝えていた。翁長後援会幹部は那覇市大道の自宅に何度も通い、渋る樹子さんへの説得を粘り強く続けた。


玉城デニー氏(左)の総決起集会で登壇した翁長雄志知事の妻樹子さん=9月22日、那覇市の新都心公園

 そしてついに決意する。「この選挙、万が一負けたら沖縄はどうなるのか」。樹子さんは9月22日の決起集会の壇上に立った。強権的に辺野古新基地建設を進める政府を痛烈に批判し、こう語り掛けた。「頑張りましょうね。命(ぬち)かじり、命かじりですよ」。ウチナーンチュの結集を呼び掛けた言葉に共感が広がり、熱気にあふれた。

 陣営は集会を機に潮目が変わったと実感する。そのうねりは、台風を前に陣営が呼び掛けた期日前投票に応える人々の列に表れた。投票の結果、佐喜真氏を約8万票上回り、知事選過去最多の39万票余りを獲得した。雄治さんは選挙結果を「ウチナーンチュとしての選択だ」と見る。

 「相手が2人いる感じだった」。玉城デニー氏の当選確実の報を受け、佐喜真氏が敗戦の弁を述べたホテルから引き揚げる自民県連幹部はこう語り、亡くなった翁長氏の存在感の大きさを吐露した。

 選挙戦突入前の8月末、自民の議員が集まった会合で、翁長氏の“評価”について話し合われた。その場で、自民県連会長の国場幸之助衆院議員は翁長氏について「認めるべきは認めた方がいい」と促した。

 佐喜真陣営は選挙期間中、翁長氏への批判を避けた。支援母体の支部事務所開きで、翁長氏について「功績は非常に大きい」と持ち上げる場面もあった。

 選挙後、自民県連幹部は「翁長氏を評価しつつも次のステージに進んでいかないといけない。その訴えは間違っていなかった…」と声を落とした。佐喜真陣営の選挙運動にも、翁長氏の存在が常について回っていた。

◆「翁長をもっと出そう」

 玉城陣営は当初、故翁長雄志知事の「弔い選挙」を前面に出す戦略だった。しかし玉城デニー氏は告示日、那覇市ではなく、母親の故郷である伊江島で出発式を開くなど自身の考えに強いこだわりを見せた。こうした玉城氏の行動に選対内には反発もあり、不協和音が響いた。

 陣営の選挙カラーを巡っても意見が食い違った。翁長氏を支えたメンバーは翁長カラーの“緑”を希望したが、玉城氏周辺は“オレンジ”を身にまとった。そんな状況をうまくまとめたのは、4年前に翁長氏の選挙で選対本部長を務め、今回も選対のかじ取り役を担った呉屋守将金秀グループ会長だ。「緑の中にオレンジがあれば、花のように目立つだろう」。それぞれの考えを尊重することになった。

 玉城陣営は、国会議員はできるだけ表に出さない選挙戦を展開。玉城氏は選挙カーの上に立たずに平場で支持を訴えた。国会議員が東京から続々と入る佐喜真陣営との違いを際立たせ、集票につなげた。「大量動員や物量で上回る相手候補のやり方に対し、ウチナーンチュの良心からの反発があった」(陣営幹部)と分析する。

 「翁長をもっと出した方がいい」。玉城陣営は9月19日午後、那覇市新都心で22日に予定された決起集会に向けた会合で、保守系の支持者から受けた助言を行動に移すことを確認した。陣営幹部は翌朝、玉城氏に対し「玉城カラーを抑え、翁長知事を前面に出す戦略に変更しよう」と打診する。法定掲示板のビラも翁長知事と玉城氏セットの写真に変更し、全て張り替えた。玉城氏は政策の訴えで「翁長知事の遺志を継ぐ」と強調し「国の言いなりの古い政治に戻すのか、子や孫に誇りある豊かな沖縄を引き継ぐのか」と翁長氏の言葉を引用する訴えを増やした。

 陣営幹部の読みは「的中」した。辺野古新基地建設に反対する「良心のある中道保守層への浸透」を実感する。与那原町では1人で400人以上の支持を自主的に集めた市民もいたという。支援母体顧問で経済界の取りまとめ役を担った照屋義実氏の下には、中小企業からも「辺野古新基地建設反対」に賛同する声が続々と寄せられた。「表だっては言えないけど応援しているからね」。照屋氏は玉城氏への共感の広がりに、確かな手応えを感じた。
 (’18知事選取材班)