普天間第二小学校、避難態勢解除 危険性除去 実現遠く 米軍訓練、不安変わらず


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安全集会の訓練で、運動場に設置された避難所に走り込む児童たち=9月12日、宜野湾市新城の普天間第二小学校

 【宜野湾】昨年12月の沖縄県米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリから窓が落下した事故を受け、米軍機が近づくたびに運動場にいる児童が校内に避難していた宜野湾市立普天間第二小学校の避難態勢が1日、解除された。解除は今年2月途中から米軍機による学校真上の飛行が確認されていないことや、8月末に沖縄防衛局による米軍事故を想定した避難所の設置工事が完了したことなどが理由だ。しかし、事故後も米軍の訓練状況に変化はなく、米軍機は学校の上空付近を含め市内全域を日常的に飛行している。根本的な原因の解決には程遠い状況が続く。

■避難700回以上

 避難態勢は学校に配置された防衛局の監視員が米軍機の接近を確認し、誘導員が運動場の児童に避難を指示するもので、運動場の使用を再開した今年2月から始まった。9月12日に避難所を使った訓練を初めて実施して以降は、避難の判断を児童に委ねるようになり、避難指示は停止したが、約7カ月間で避難回数は計700回以上に上った。

 同小の桃原修校長は「子どもたちはこの地域に住む限り、家でも公園でも米軍機が上空を飛ぶ」と、児童を取り巻く危険な環境を指摘。その上で「自ら避難の必要性を判断できる力を養いたい」と説明する。

 避難態勢の解除で、体育の授業や休み時間の遊びが強制的に中断されることはなくなったが、児童の安全性という点では、保護者の不安は変わらない。「米軍機はいつも飛んでいて、最悪な状況に変わりはない」「次はいつ落ちてくるのか」―。解除決定後、保護者たちは取材に対し、市の真ん中に位置する普天間飛行場の存在や、事故後も米軍の訓練状況が変わらない現状に不安と憤りを見せる。

 今年1月、監視カメラや監視員の配置、避難所の設置など教育環境の正常化に向けた6項目を防衛局や市教育委員会に要請した同小PTAの50代男性役員は「6項目の要請が完成し、感慨深い。特に避難施設の完成で子どもの安全性が格段に向上すると期待している」と語る一方で、「あまり口には出さないけど、みんな(普天間飛行場は)どこかに行ってほしいと思っている」と語る。

■本質的解決を

 保護者からは「そもそも避難場所を造らないといけない状態がおかしい」との声も上がる。防衛省は本紙の「普天間第二小と同様な避難所がある小学校が、全国で他に存在するか」との質問に対し「承知している範囲ではない」と回答した。文科省の学校基本調査によると、今年5月1日時点で全国には1万9892校(速報値)の小学校があるが、同様な避難所は全国唯一とみられる。

 市内では2004年にも沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落、炎上した。市民の命が脅かされ続ける現状に対し、識者は市民の安全確保には普天間飛行場の早期の運用停止しかないと指摘する。

 事故直後、大学教授や市民有志ら117人による普天間飛行場の閉鎖を求める声明の呼び掛け人の一人を担った、琉球大学人文社会学部の星野英一教授は「避難所の設置で『政府としてやるべきことはやった』となってはいないか。危険性を除去しようとしてるようには見えず、本質的にやるべきことをしていない。自国の国民の安全確保に対し、あり得ない対応をしている」と批判する。

 その上で「米軍機が学校の真上を飛ばないことも、市民の安全確保には関係がない。本質的に、危険性を除去するためには普天間飛行場の運用を早期に停止するしかない」と指摘した。 (長嶺真輝、當山幸都)