20年の歩みに感謝―。2度の白血病を乗り越え、13日に成人式を迎えた男性がいる。沖縄大学2年の高島輝一朗さん(20)=与那原町。一度は大好きな野球を奪われた。病室で泣いた日もある。それでも家族や仲間に支えられ、病に打ち勝ってきた。実感を込めて言う。「いま生きていること自体、尊くて幸せです」
急性リンパ性白血病―。母の直美さん(49)は「うそだろ?」と思った。当時、息子はまだ5歳。1年近く入院し、抗がん剤治療を受けた。副作用で骨の一部が壊死(えし)し、右脚に装具を付けた。回復した小学校3年から野球を始め、6年では主将を務めた。順調な回復ぶりに、母も病気を忘れるくらいだったという。
中学3年の夏、高島さんに2度目の試練がやって来た。白血病の再発。「沖縄尚学に進んで『甲子園に行くんだ』と思っていた」矢先だった。「この体で野球はできない…」。病室で一人泣いた。そんな時、沖尚野球部の比嘉公也監督が病室を訪れ、「一緒に野球をやろう」と励ましてくれた。
中学卒業と同時に退院し、沖尚野球部に入った。その夏、沖尚は甲子園に出場。高島さんはスタンドから声援を送った。抗がん剤治療は3年に上がるまで続いた。副作用と闘い、練習に行けない日も多かった。高校3年間、公式戦出場の機会は無かった。高島さんは「悔しかったけど、自分のやれることをやろうと思っていた」と振り返る。
沖大に進学し、硬式野球部でプレーしている。県立南部医療センター・こども医療センター(南風原町)に通い、自身の体験を語る活動も始めた。「病気がいつ再発するか分からない。今できることを全力でやって、恩返ししたい」
13日、与那原町社会福祉センターで開かれた成人式。あいさつに立った高島さんは「これからもたくさんの『大変』が待っている」と切り出し、「大きく変わると書くように、人間として大きく変わるため、どんな山場も乗り越えていきたい」と力を込めた。
闘病を支えた、母の言葉だった。直美さんは息子の晴れ姿に「『おめでとう』と言うより『生きててくれて、ありがとう』ですね。最高の人生を送ってほしい」と目を細めた。
(真崎裕史)
※注:高島輝一朗さんの「高」は旧字体