障壁越え「宝島」へ 父の影響で沖縄に関心


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直木賞受賞後、本紙のインタビューに応える真藤順丈さん=23日、東京都の講談社

 【東京】沖縄戦後から日本復帰までの長大な青春群像劇を描いた「宝島」(講談社)で直木賞を受賞した作家の真藤順丈さん(41)が25日までに琉球新報のインタビューに応じ、沖縄をテーマに選んだ背景に父親や沖縄の小説から影響を受けてきたことを明かした。沖縄出身者でない者が「沖縄」を描くことには「越境者」として「越えなければならない障壁があった」と葛藤を語った。障壁を前に足踏みする時期もあったが、そこを越えたところで「宝島」は生み出された。

 「今ある日本国の形が戦後、どう形作られてきたのかを知りたかった。現代にフィードバック(過去を参考に修正)できる要素が戦後の沖縄を描くことで表現できるのではないかと思った」と作品に込めた思いを振り返った。その上で「読んだ人が自分ごととして心に残していってもらって、それが今も続いているんだと歴史的背景を知ってもらう機会になればいい」と読者への波及を期待した。

 もともと沖縄については父親から聞かされていた。父親は沖縄にも足を運び、沖縄に関する記事をスクラップしていた。沖縄関連の書籍も身近にあった。沖縄の小説からも影響を受けた。恒川光太郎や池上永一の文芸作品、目取真俊、大城立裕、又吉栄喜の作品も読んだ。真藤さん自身の中に「沖縄」が蓄積していった。

 作品中、登場人物の言葉で、日本(ヤマト)が沖縄を切り捨て、アメリカ追従を続ける姿勢を批判するせりふがある。インターネット上には、沖縄を取り巻く現状に重ね合わせた感想が上がっていることに、真藤さんは「そういうところもあるが、どうしてあの場面で登場人物がそういうことを言ったのかを見てほしい。その言葉を吐くまでにどういう経緯をたどったかをぜひ読んでほしい」と強調した。

 作品を完成させるまでに7年を要した。沖縄出身者でもない自分が沖縄について書いても「こんなのは違う」「言葉に違和感がある」などの批判が来るのではないか。その覚悟を持てずに足踏みする時期があった。その迷いを抱えたまま、ある時沖縄に赴き、ウタキに向き合い、基地のフェンス越しに米兵と対面してみた。そうする中で「傍観者の視点ではなく、(沖縄の)真ん中に行ってみようと思い切った」。真藤さんが「越境」した瞬間だった。

 執筆活動で心掛けていることについて「その『土地の声』をすくい集めて、読んでもらいやすいような形にする。『土地の声』を大事に一番に考えたい。いろいろな問題が立ち上がるときに、必ず一番初めに揺るがされるものだが、一番守らなければならないことだ」と語る。