社会

満蒙開拓の史実を直視 長野の記念館、「ひめゆり」展示手法に学び平和学習に力

ひめゆり平和祈念資料館の職員と平和学習について意見を交わす満蒙開拓平和記念館の三沢亜紀さん(右)=2018年12月26日、糸満市のひめゆり平和祈念資料館

 美しい星空で知られる長野県阿智(あち)村で、2013年にオープンした施設が存在感を強めている。国策で旧満州へ送り出された開拓団の歴史を伝える「満蒙開拓平和記念館」は、当初見込みより多くの人が訪れ、秋にはセミナー棟を増築する。平和学習を強化する狙いがあり、ひめゆり平和祈念資料館にも訪れ、展示手法を参考にしてきた。事務局長の三沢亜紀さん(52)は「歴史と向き合い、若い世代も深く学べるような記念館にしていきたい」と意気込んでいる。

 「予想以上に来ていただいているが、小中高生は来館者の1割未満。もっと増やしていきたい」。昨年12月、視察先の糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、三沢さんが明かした。展示手法などを学ぶため、これまで何度も沖縄を訪れている。視察後には「記念館の強みが見えて参考になった」と手応えを語った。

 阿智村にある記念館は満蒙開拓に特化した全国で唯一の施設。ひめゆり平和祈念資料館の展示手法を参考に、体験者の証言をまとめた映像や開拓団の住居の一部を再現した模型も配置している。当初の事業計画では年間来館者数を5千人と見込んでいたが、開館1カ月で5千人を突破。2018年12月末時点で来館は15万6220人に上る。


長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」(同館提供)

 満蒙開拓は加害と被害の両方の側面を持つ。沖縄もそのことと無縁ではない。1930年代後半から沖縄からも開拓団が送られた。

 満州を研究している「沖縄女性史を考える会」によると、旧満州に送り出された開拓団のうち、現地で生まれた子どもらを含めると2600人以上の沖縄県民が在籍していた。さらに医師や教員など、開拓団ではない形態で満州へ渡った人たちもいる。

 同会の比屋根美代子さんは「沖縄戦の課題が多すぎて、満州研究は空白になっていた。沖縄からの渡満の全貌は、いまだに見えていない」と指摘する。記念館を訪れたことがある同会の山内るりさんは「沖縄は移民が多いが、移民地の一つとして満州も忘れないでほしい」と訴えた。

 秋にセミナー棟が完成すれば、120人が一堂に会して学習できるようになる。三沢さんは「なぜこのような犠牲が生まれたのか、地域や国はどうあるべきか、私たちはどう生きるべきか。一緒に考える場にしたい」。歴史と向き合い、来館者一人一人に問い掛け続けていく。(前森智香子)


<用語>満蒙開拓
 1931年の満州事変後、国策によって旧満州国(中国東北三省と内モンゴルの一部)へ送り出された。終戦までに全国から約27万人が渡ったとされる。1945年8月に旧ソ連が対日参戦し、満州に侵攻して多くの犠牲者が出た。敗戦の混乱で中国に取り残され、残留孤児や残留婦人となった人も多い。満蒙開拓平和記念館によると、送出数が最も多いのは長野県で、約3万3千人に上る。