〈私の視座 2・24県民投票〉2 元参院議員 山内徳信氏 手を取り合う沖縄に 市民一丸で普天間返還を


社会
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―県民投票が実施される。

 「これまでの国政選挙や知事選挙で辺野古移設反対を訴える候補者が当選しても、日本政府は沖縄の民意を否定し、工事を続けてきた。県民投票は民意を直接示すことのできる有効な手段の一つだ。対立するのではなく、投票をきっかけに県民同士が平和な沖縄のために手を取り合うことを期待している」

 「選挙で示された民意が無視され続けたことで沖縄には閉塞(へいそく)感が広がっている。民主的で平和な沖縄をつくろうと立ち上がった元山仁士郎さんら若者たちの行動に喜びと誇りを感じる」

―選択肢に「どちらでもない」が含まれる。

 「本当は単純に賛成、反対を問う方がいいが、他国による統治や影響が続けば、2択では割り切れないという人が出てくる。沖縄にもそうした側面があり、致し方ない。新里米吉議長ら県議会の関係者が努力して全県実施にこぎ着けたことを評価したい」

―1996年の県民投票当時は読谷村長だった。

 「当時は労組などが中心になって県民投票が実施されることになり、われわれ首長は街頭に出て投票に行くよう住民に呼び掛けた。米軍基地の整理縮小と地位協定改定は沖縄が求め続けてきたことだが、最大の焦点である普天間飛行場は『5年ないし7年』と日米が返還に合意して23年経過しても返ってこない。沖縄に対する政府の基地政策は強権的で、軍事的植民地化を強化するものだ」

―今回は辺野古埋め立ての是非のみが問われる。

 「沖縄戦当時、多くの県民がやんばるの森に避難した。戦中、戦後、食べ物が何もない時代に大浦湾の豊かな海の恵みが多くの命を救った。その大浦湾を埋め立て、くいを何万本も打ち込むことは到底許容できない。私のような戦争体験者からすると、五寸くぎを胸に突き刺されるような感覚だ」

―政府は辺野古移設が完了するまで普天間飛行場を使用する方針だ。

 「普天間飛行場から飛んでくる米軍ヘリや輸送機によるパラシュートの降下訓練が読谷補助飛行場でかつて実施されていた。場外落下の事故も多く、65年には米軍ヘリからパラシュート投下されたトレーラーの下敷きになって小学5年生の女の子が亡くなった。読谷村民は自分たちの命を守るため立ち上がり、反対闘争を展開し、返還が実現した」

 「県民投票の結果にかかわらず、宜野湾市には住民の命を守るために『普天間飛行場の閉鎖・返還』という一点で団結してほしい。市民が一丸となって日米両政府、普天間飛行場司令官と在沖米四軍調整官、在沖米総領事などに迫れば、必ず返還は実現する」

 (聞き手・「県民投票取材班」松堂秀樹)

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 やまうち・とくしん 1935年2月15日、読谷村生まれ。琉球大卒業後、高校教師を16年間務める。74年に読谷村長に初当選。「人間性豊かな環境・文化村」などの構想を掲げ、自治体外交の手腕を発揮し、日本政府や米軍に読谷補助飛行場の返還を直訴。同飛行場内に役場庁舎を建設するなど、独自の手法で基地返還を推進した。98年、大田県政で県出納長。2007年の参院選比例代表で初当選し、1期務めた。