沖縄県民投票 地元・辺野古区民は何を思い1票を投じるのか? 複雑さ抱え不参加も


社会
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基地と辺野古集落を隔てるフェンス沿いを乳母車を押して散策する女性=12日午後、名護市辺野古

 政府による米軍の新基地建設が進められている名護市辺野古。米軍キャンプ・シュワブのゲート前には市内外から多くの県民が連日集まり、基地建設への抗議を続ける。周辺には24日投開票の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票を知らせるのぼりが目に付く。対照的に、ゲートから約600メートル離れた辺野古の住宅街の中心ではのぼりは確認できない。

 辺野古区民に今回の県民投票に行くかを聞いた。40代の男性は「投票には行く。反対には入れないと思う」と淡々と話す。一方、60代の男性は「行かないと思う。基地建設は賛成だが、投票をやる前から結果は見えている」と語る。

 1960~70年代のベトナム戦争当時、米兵たちで辺野古はにぎわった。「足の踏み場もないほど米兵が闊歩(かっぽ)し、国際通りよりも歩行者の密度は高かった」。島袋勝雄さん(80)はその光景が今も目に焼き付いている。

 しかしベトナム戦争や冷戦が終結すると、駐留兵の数も減り、にぎわいはなくなっていった。96年に辺野古への米軍普天間飛行場の移設計画が浮上すると、島袋さんは「辺野古活性化促進協議会」を組織し、条件付き容認を訴えた。「基地受け入れが経済振興につながる」。いまでもそう信じる。「国の政策と住民の生活は別問題だ」と、県民投票で意思を示す1票を投じるつもりだ。

 区は基地受け入れの条件の一つとして各世帯への個別補償を求めてきたが、護岸工事着手後の2018年8月、沖縄防衛局は突然、個別補償はできないと回答した。これに区民が反発したため、防衛局は代替案として定住促進や子育て支援などを示している。

 会社経営の飯田昭弘さん(70)は辺野古商工会長だった当時、辺野古の振興策を提案した。海浜公園や宅地の整備などの大規模な構想だ。「国は辺野古の振興について話し合ってくれる。もっと大きな視点で考えないといけない」と国との協調を重視する。一方、県に対しては「『新基地を造らない』と掲げるなら、辺野古発展のビジョンを示してほしい」と強く訴える。

 飯田さんは県民投票には行かないつもりだ。「もろ手を挙げて賛成もできないし、国との対話を考えると反対もできない。無関心でもないので『どちらでもない』ともいえない」と複雑な心境を明らかにした。

 當山佐代子さん(74)は移設計画に一貫して反対してきた。区民で結成した「命を守る会」に参加。今も米軍キャンプ・シュワブ前で座り込む。當山さんは「沖縄には自然を求めて観光客がやってくる。海を壊したら地方創生もない。県民投票への期待は切実だ」と、反対票を投じる。

 1997年の名護市民投票では移設受け入れの是非を巡り、容認、反対の立場の区民が集会を開くなど活発だった。今回の県民投票は「反対に○」と描かれたのぼりが、ただなびいているだけだ。
 (塚崎昇平)