危険除去「閉鎖しかない」 普天間運用停止あす期限 比嘉さん 沖国大ヘリ墜落、恐怖今も


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 【宜野湾】政府が県に約束した米軍普天間飛行場の「5年以内の運用停止」が18日に期限を迎えるが、政府は県が辺野古移設に反対することを理由に約束をほごにしている。2004年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大の敷地沿いに住み、今も事故の恐怖が脳裏に焼き付いている比嘉栄光さん(77)=市宜野湾=は「危険性の除去には撤去しかない」と訴える。それでも米軍機は連日頭上を飛び交う。比嘉さんは憤る。「沖縄に対する日本の植民地主義が連綿と続いている証拠だ」

米軍普天間飛行場を間近に見ながら、沖国大の墜落事故や米軍の訓練状況を説明する比嘉栄光さん=14日、宜野湾市宜野湾

 2004年8月13日午後2時15分ごろ。「ボーン」。けたたましい爆発音が突如、家中に響いた。比嘉さんが慌てて外に出ると、沖国大の校舎方面の空に黒い煙がもうもうと立ち上っている。「(大学横の)ガソリンスタンドが爆発したのか」。自宅から約300メートルの現場に急ぐと、墜落した米軍機が黒く焼け焦げ、校舎の壁にはプロペラのまがまがしい傷跡が刻まれていた。「大変なことになった」

 終戦後、普天間飛行場内で農業を営む父の手伝いをしていた。農作業中に米軍機が頻繁に頭上を飛び交い、過去には飛行場内で墜落事故も起きたが「住宅地に落ちる感覚はなかった」。身近で起きた沖国大の墜落事故は、比嘉さんの五感に恐怖を刻んだ。それから約1年間、米軍機の飛行音を聞く度に「怖い」と感じ、空を見上げるようになった。

 事故から10年後の2014年、政府は県に「5年以内の運用停止」を約束した。「事故が起きても沖縄はずっとないがしろにされてきた。簡単にはいかないだろう」と比嘉さんは疑心暗鬼だったが、命の危険と隣り合わせの生活を送る中で「そこまで踏み込めたか」とかすかな期待を寄せた。しかしそんな希望もかなえられなかった。

 「沖縄がいくら訴えても、選挙で民意を示しても政府は無視する。国民も基地問題をわが事として捉えず、政府が無視できる状況をつくっているのも問題だ」と国の在り方を批判する。

 市内では17年に普天間第二小に窓が落下するなど、近年も普天間所属機の事故が相次ぐ。比嘉さんは顔をしかめ、訴える。「危険な状況は変わらない。普天間は閉鎖、撤去するしかない」