なぎなたの道 心は行く 県立高校きょう卒業式 2度の全国総体制覇・安次嶺心(首里)


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 3月1日は県立高校の卒業式。高校生スポーツアスリートには全国の大舞台で活躍し、卒業後も競技を続ける選手や別の道に進む選手などさまざまな人模様がある。昨年の全国高校総体で沖縄県勢で唯一優勝したなぎなた団体試合の首里で、大黒柱としてチームを支えた安次嶺心は一度は競技を離れ別の道へ進むことを考えたが、なぎなたを忘れることができず、鹿児島県の鹿屋体育大学へ進学し、腕を磨く。

大学進学後も競技を続け「いずれは指導者になりたい」と語る首里の安次嶺心=2月27日、那覇市の首里高校

 全国の頂点に2度立った高校時代は「大きな経験をさせてもらった」と語り、部活と勉学の両立を目指す大学については「レベルの高い舞台でさらに強くなりたい。いずれは強い選手を育てる指導者になりたい」と新たな夢を描く。 西原東小4年の時、なぎなたをしていた姉の影響で競技を始めた。小・中学校で全国大会に出場し、首里高校へ進学した。高校でも負けず嫌いな性格で先輩たちとの練習に食らい付き、1年生からレギュラーをつかみ、全国高校総体はポイントゲッターとして活躍。同校の初優勝に貢献した。

重圧

 2年生になるとチームのエースとなり連覇も期待された。しかし、勝利への重圧にいつのまにか追い込まれる。「余裕がなくなり、必死だけど自分が何をしていいのか分からなかった」。スランプに陥り、2度目の全国高校総体は16強に終わる。「なぎなたが楽しめなかった。どんどん落ちていった」

東海高校総体のなぎなた団体準決勝、大将戦で果敢に攻める首里の安次嶺心(左)=2018年8月7日、三重県津市の久居体育館

完全V

 総体後、新チームの主将を任され、自分だけではなくチーム全体を見るように心掛けた。「ここから仲間たちとはい上がるしかない」と気持ちを新たにすることで、勝利の重圧から解き放たれたという。3年の県大会は全3種目を制する3冠を達成、県なぎなた界を引っ張る存在となった。全国の頂点を見据える一方で、大学進学後は勉学を優先し、選手としての第一線は離れることを決断した。「覚悟は決めた。最後は全力で優勝を目指す」

 迷いなく迎えた昨年の全国高校総体、演技は5位で個人試合は準優勝、残すは団体試合のみ。決勝へ勝ち進むと同時に迫る選手としての残り時間。その中で安次嶺を含むチーム全員が、初戦から1度も負けなかった。絶対的エースとして結果を残し、手にした2度目の全国制覇。「全員が自信を持ち、信じ合い、チームが一つになれた」と振り返る。目標を手にした安次嶺はなぎなたを置いた。

次の舞台

 総体から戻り、スポーツ心理学を学ぶために大学進学を目指して勉強に専念した。ほとんど毎日手にしていたなぎなたをペンに持ち替える日々を送ったが「合間に試合の映像を見ていた」となぎなたのことが頭から離れなかった。進学先を探す中で鹿屋体育大が目にとまった。なぎなた部があり、1年の時に一緒に全国制覇した先輩の上地星菜もいた。全日本学生なぎなた選手権大会は昨年は準優勝だったが、その前までは3連覇している強豪だ。部活と勉学双方に打ち込めると判断し、同大への進学へ向け励み、合格を勝ち取った。

 センター入試が終わって本格的に競技に復帰した。後輩と一緒に練習する姿を見て大城エリカ監督は「相手の動きを見るセンスがよく、選手としても上のレベルでも戦える。そのセンスは指導者にも生きてくると思うし、全国王者になった経験もある」と素質を語る。後輩との練習でも動きの確認などを教える安次嶺の姿に、既に指導者としての芽も垣間見えた。

 4月からは大学生となり、新たな生活が始まる。競技でも突きが解禁されるなどの変化もある。同じ県勢で福井国体で3位に入った牧田千佳(沖縄尚学)、比屋根璃乃(同)は別の大学へ進学し、ライバルとして立ちはだかる。「不安もあるが絶対に強くなるという気持ちが強い」と力を込める。

 高校の3年間を「正直、1年生からやり直したいぐらい楽しかった」と笑顔で振り返る。それでも「大学で強くなって国体の成年選手で戦いたいし、いずれは指導者になって選手を育てたい」。競技者としての伸びしろを信じ、新たなステージへ笑顔で挑む。
 (屋嘉部長将)