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やんばるに秋田杉 県人沖縄会の小松さん「ふるさと思い出す」

1966~68年に植えられた秋田杉と秋田県人沖縄会の小松正美さん=2月25日、国頭村辺野喜

 「やんばるで秋田杉が育っているそうだ。一緒に探してくれないか」。1月、秋田県人沖縄会の小松正美さん(71)=大宜味村津波=から本紙に問い合わせがあった。沖縄県とは気候が真逆の雪国、秋田県。秋田の県木である秋田杉は、シンボルともいえる。美しい木目と強い材質が特長で、日本三大美林の一つに数え上げられている。生まれも育ちも沖縄である41歳の記者も初めて聞く話だ。

 沖縄で戦没者慰霊式典を執り行う秋田の人々からの情報で、秋田県人沖縄会でも話題になった。しかし、20人ほどの会員や慰霊祭関係者も具体的な場所を知らない。自治体に尋ねても分からず、本紙に連絡したという。

 記者が取材すると、国頭村森林組合総務課長の山城健さん(60)から有力な情報をあっさり得た。「秋田杉なら知っている。案内できますよ」

 2月25日、国頭村辺野喜の森を小松さんや木村昭男会長(71)らと訪ねた。「あったぞ。秋田杉だ」。イジュやイタジイなどの広葉樹が茂る森の中、空へまっすぐに伸びる針葉樹があった。小松さんは興奮を抑えきれず、「ふるさとを思い出す」と秋田杉に抱き付いた。周辺だけで50本以上はある。1本の幹の太さは120センチ余、長さは20メートル以上。樹齢は少なくとも51年を超える。取材を進めると、人々の記憶から遠ざかった沖縄と秋田の絆の物語があった。

復興願う「緑の絆」 60年代寄贈、一世代限りか


 なぜ沖縄に秋田杉が植えられているのか。本紙の過去記事から手がかりを探った。1962年2月23日付の記事は「友情の苗木七千本 秋田県が沖縄向け贈る」と伝えていた。関連記事を75年4月6日付まで確認できた。81年発行の水野泰治著「緑のきずな 沖縄の秋田杉」にも経緯が記されている。これらによると、45年の沖縄戦で荒廃した沖縄を緑化で支援しようと、秋田杉苗を贈る計画があった。

 62年1月、沖縄戦で亡くなった秋田出身者を追悼する「千秋の塔」が糸満市摩文仁に移転建立され、当時の小畑勇二郎秋田県知事も除幕式に参加した。沖縄には戦争の爪痕が深く残り、緑化推進の運動が展開されていた。沖縄の惨状を確認した小畑知事は秋田杉を贈ると決めた。

 翌2月、極寒の秋田から最初の苗7千本が送られ、国頭村辺野喜や奥間(与那覇岳)、名護市源河、久志の造林地に植林された。米統治下の沖縄には土を持ち込めないなど防疫上の制限があった。真冬の中、根を水洗いなどして送り出した。琉球政府の大田政作行政主席は同年3月、「みどりを失った琉球の現状に御同情下され、秋田杉苗を御送りくださることに対して大変喜んでいる」と親書を小畑知事に寄せた。

 68年12月までに5回に渡り、計2万2千本が贈られた。種子も69年と71年、72年に計15キロが届けられ、北部や八重山の当時の営林署や試験場、琉球大学に分配された。

 秋田や沖縄の林業関係者は沖縄で成長するか不安視したが、一部はやんばるの森で育った。低木はクリスマスツリーとしての需要があった。


1972年5月ごろ、国頭村辺野喜の秋田杉(仲栄真盛長さん提供)

◆   ◆   ◆

 国頭村森林組合に40年勤める山城健さん(60)は今回の取材で経緯を初めて知った。秋田県人沖縄会会長の木村昭男さん(71)=糸満市=は結婚を機に沖縄で暮らして約50年になる。県人会に30年ほど関わっているが、沖縄の秋田杉についてほとんど知らなかった。何が人々の記憶から遠ざけたのだろうか。造園業で働いていた沖縄会の小松正美さん(71)は、県内をはじめ全国の林業低迷が背景にあったとみる。コンクリートの普及による木材離れや安価な外国木材に押され、秋田杉の価格は下落した。「秋田杉に触れる機会が全国的に減った。もともとなじみのない沖縄の場合、顕著だったのではないか」

 辺野喜の民有林には7700本が植えられた。国頭村森林組合によると、辺野喜ダムの建設計画(着工77年、完成86年)に伴い、一部伐採された。現在、その場所は水の中だ。

 2007年に亡くなった我喜屋良晴さん=享年89=は与那覇岳で秋田杉を育てていた。その造林地は1972年の日本復帰とともに国定公園に含まれ、動植物の採取ができなくなるなど規制の網がかかった。こうして、人々の目に触れる機会が減っていったとみられる。我喜屋さんの三男、良徳さん(62)=読谷村=によると、与那覇岳でも秋田杉が育っている。

 秋田杉の最初の植林から57年。生態系保護の観点から林業分野でも在来種が重視される中、沖縄の秋田杉は一世代限りとみられる。山城さんも、現存する秋田杉の自然増加は生育環境から難しいとみる。

 木村さんは誓う。「いま、やんばるを見渡すと緑が豊かだ。沖縄の秋田杉はその役割を終えたのかもしれない。ただ、秋田と沖縄が育んだ絆の証しでもある。絆をこれからも大切にして、沖縄の秋田杉を語り継ぎたい」
(島袋貞治)



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