「名前と住所だけでも、書けるようになりたい」通った夜間中学 76歳牧野さん 卒業 〝孫世代〟の寄宮中生が式企画


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 卒業式を翌日に控えた那覇市立寄宮中学校(仲盛康治校長)で8日、同校3年生の有志が企画したもう一つの卒業式が開かれた。式の主役は市内の夜間中学校に通っていた牧野順子さん(76)=那覇市。2度の脳梗塞を乗り越え、孫ほど年の離れた“同級生”たちに見守られながら卒業の時を迎えた。

涙をこらえながら花道をくぐる牧野順子さん=8日、那覇市立寄宮中学校体育館

 牧野さんの卒業式は1月末、在籍する夜間中学から自宅に近い寄宮中学校に依頼があった。3年生の有志約40人が実行委員会を結成。本人の体調や車いすの移動を考慮し、約1カ月かけて準備を重ねた。式で体育館に足を踏み入れた牧野さんは、拍手が響く中、車いすで花道をくぐった。「良かったですね」「おめでとうございます」―。生徒らから掛けられる言葉に、目に涙をためながら、お辞儀を繰り返した。

 幼い時に沖縄戦を経験した牧野さん。戦後は仕事と弟や妹の世話に追われ、学校に通い続けることができなかった。家族には字が書けない悔しさを打ち明けることがあったという。そんな中、NPO法人珊瑚舎スコーレが運営する自主夜間中学校を知った。「名前と住所だけでも、書けるようになりたい」と通学を決意した。

 もやし仲卸店の店主として、那覇市の農連市場で約40年働いた。仕事の合間を縫って夜間中学に通う日々。店準備のため起床は決まって午前1時。体力的に厳しく、通わなくなった時期もあった。再び通学を志した2016年5月、突如脳梗塞で倒れた。その後18年9月に再発したことで、右半身にまひが残り、言語能力に障がいを抱える失語症になった。それでも諦めなかった。日中はデイサービスでリハビリをし、帰宅後は学校に通った。

 長女のみどりさん(50)に付き添われ、卒業証書を受け取った牧野さんは「無事に卒業できて、とてもうれしいです。ありがとう」と言葉をつむいだ。この日のために練習したあいさつに、割れんばかりの拍手が響いた。実行委員長を務めた3年の知花ももかさん(15)は「大成功。牧野さんの諦めない姿に勇気をもらえた」と涙ながらに話した。

 現在、自宅ではつえを使って歩き、言葉も少しずつ話し始めたという。念願だった名前や住所も、しっかり書けるようになった。「勉強を続けて卒業もできたね。今度は何に挑戦しようか」。みどりさんの言葉に、白い歯を見せ笑った。