青色の木造長屋にあつあつのてびち―。沖縄県那覇市壺屋の神里原で55年営業を続けている「おでん六助」が、3月末で現在の長屋での営業を終え、壺屋の別の建物に移転する。かつて200軒近くのスナックがひしめき、多くの客でにぎわった神里原は今や数軒を残すのみ。六助の移転で昭和の匂い漂う長屋のネオンがまた一つ消える。
おでん六助は、店主の新崎洋子さん(71)の母・愛子さんが1964年、ホステスと共にスナックとして華々しく開店した。洋子さんは21歳から店を手伝ったが、10年後に愛子さんが倒れ1人で店を切り盛りするようになった。
店には、冬になると南部でさとうきびの刈り取りを終えた男たちが、仕事後の1杯を求めて訪れた。仲井真弘多前知事や故翁長雄志前知事など歴代知事も通った。キャスターの故筑紫哲也さんはおでんのてびちと泡盛がお気に入りだったという。常連客という女性も「ママの顔を見たくて、男性客をかき分けてでも通いましたよ」と振り返り、カウンター席でグラスを傾けた。
店の転機は昨年2月。洋子さんが転び、首の脊椎を損傷した。「帰ってきてほしい」。静岡で暮らしていた息子の亙さん(49)は電話口の母の不安げな声に驚き、飛んで帰った。病で落ち込んでいた洋子さんだったが「店を閉めたくない」と亙さんに思いを打ち明けた。「母一人子一人。いつかはどちらかで、とは思っていたから…」と亙さん。洋子さんの気持ちに押されて会社を辞め、店を引き継ぐ決意した。
昨年3月から洋子さんと親子で店に立つ。飲食店で働いた経験はない亙さんだが、おでんのだしはすぐに洋子さんから合格点が出た。「おばあちゃんのおでんの頃から年中食べていて、味が分かっていたので」
昨年10月、老朽化が進んでいた店を台風が襲った。天井が飛び、壁が半壊。改修はしたが存続は難しく、3月末での移転を余儀なくされた。洋子さんは「思い出はいっぱいある。本当は移りたくない」と寂しげだ。移転が決まってからも客足は絶えない。移転先を知らせる地図も常連客が作成。新しい店の看板を作ると名乗り出る客もいる。
「お客さんに恵まれてますよ。まだまだ元気でいないとね」と洋子さん。「これからは3代目もいるから」とエプロン姿の亙さんを見てうれしそうにほほえんだ。
(田吹遥子)