社会

戦後沖縄の闘い支えに 生業訴訟 沖縄支部代表・久保田美奈穂さん 子のため避難 歴史学ぶ

福島第1原発の事故以降、子ども2人と茨城県から那覇市に避難している久保田美奈穂さん。瀬長亀次郎ら県民の闘いに力をもらっていると言う=7日、那覇市若狭の不屈館

 裁判に加わるのは怖かった。非難や中傷を浴び、人知れず泣いた。それでも負けなかった、諦めたくなかった。国と東京電力を相手に福島第1原発事故の責任を問う「生業(なりわい)訴訟」で、沖縄支部代表を務める久保田美奈穂さん(40)=那覇市。「子どもたちに何かを残したい」との思いを支えたのは、戦後の「沖縄県民の闘い」だった。

 久保田さんは原発事故後の2011年6月、6歳と1歳の息子2人を連れて、茨城県水戸市から那覇市に避難してきた。「子どもは自分が守らないと」。夫とは意見が合わなかったが、放射性物質の影響を考えて決断した。

 生業訴訟は13年3月、損害賠償などを求め、全国各地の被災者が提訴した。約3800人の原告のうち、県内は約70人。久保田さんは15年11月、福島地裁で意見陳述した。周囲からは「避難しているのになぜ(原発事故があった)福島に行くのか」「福島出身でないくせに」などと責められることもあったという。

 傷付き、泣いた。「子どもや孫に原発を残したくなかっただけなのに」。その頃、知人の紹介で那覇市の不屈館に通うようになった。故瀬長亀次郎さんの足跡など、戦後の圧政に対する県民の闘いを知った。涙し、くじけそうな気持ちから立ち直ったという。「『危険に脅かされることなく平和に暮らしたい』と願うのは当然のこと。それなのに、沖縄では声を上げないといけない現実がある。国と東電は何でも無理やり。一人一人が大切にされる社会に向けて、声を上げ続けないといけない」

 事故から8年。茨城県に帰りたい、との気持ちは強い。ただ「原発の収束作業は終わっていない。まだ戻れない」。1月から不屈館でボランティアを始めた久保田さん。来館者を案内しながら、心に刻む。決して諦めない、と。
(真崎裕史)









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