駆ける4・21衆院3区補選(下)島尻安伊子氏 台所から県変える 母親たちの思いが原動力 姿勢一環、子らの幸せのため


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街頭演説を終え、移動用の車両へ急ぐ島尻安伊子さん=9日、本部町の渡久地交差点付近

 「ヌチカジリ頑張る」。2016年の参院選落選から3年。大臣補佐官を辞し、初の衆院選に挑戦した島尻安伊子氏は、さまざまな場面で自らを鼓舞するように語り掛ける。玉城デニー知事が衆院議員を務めていた沖縄3区とあって、周囲からは補佐官として沖縄振興に携わってほしいという声も少なくなかった。しかし、「未来ある子どもたちのため」にと出馬を決意した。その行動の裏には落選後、自らの目と耳で感じた子どもの貧困の実態、そして南北格差がある。

 仙台市出身、上智大卒と沖縄との接点がなかった島尻氏は1989年、結婚を機に沖縄に移り住んだ。4人の子宝に恵まれ、主婦として子育てに追われた。日々の生活で待機児童の多さや一人親世帯に対する不十分な支援体制など沖縄特有の課題を肌で感じた。

 そんな折、子育てに悩む母親たちとの会話を通じてさまざまな意見や提案に接し「政治家として彼女たちの思いを実現したい」と思い、2004年、那覇市議補選に挑戦し政治の世界に足を踏み入れた。

 07年には参院補選に立候補した。その時掲げた「台所から政治を変える」のスローガンは政治家の「原点だ」として今も健在だ。尊敬する人物は女性初のノーベル賞受賞者のキュリー夫人。「彼女は台所を研究室にして偉大な成果を残した」。自身をキュリー夫人と重ね合わせ「台所から沖縄を変え、沖縄の均衡ある発展」を目標に掲げる。

 参院議員2期目の15年には県選出の女性国会議員として初入閣し、沖縄担当相に就任。市議時代から頭の中で思い描いていた子どもの貧困解消に向けて政策の具現化に奔走した。沖縄独自の政策でなければ子どもの貧困は解消されないとして、安倍晋三首相と菅義偉官房長に直談判し、子どもの貧困対策費として10億円の予算計上を実現させた。

 街頭演説では、子どもの貧困問題の話になると、つい熱が入る。選挙戦終盤に入り疲れも見え始めたが、家族も認める持ち前の明るさで「子どもたちの未来のために」と各地を駆け回る。
 (衆院3区補選取材班)