「オール沖縄」にひずみ 「2万票は流れた…」 屋良陣営 衆院3区補選の舞台裏(中)


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屋良朝博氏の激励のため来県し、ガンバロー三唱で気勢を上げる国政野党4党首ら。そこに屋良氏の姿はなかった=16日、沖縄市安慶田の選挙事務所

 選挙終盤の16日、屋良朝博氏を激励するため国政野党4党首がそろって来県した。党首がそろうのは、昨年9月の県知事選でも起こり得なかった「快挙」と党首らは口をそろえたが、その場に屋良氏の姿はなかった。選挙戦の勝利を国政野党の手柄にしたくないとの思惑が陣営に働いた。

 3区補選は国政選挙であると同時に、県知事選、県民投票と続いて米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に「ノー」の民意を再度突き付ける正念場と陣営は位置付けた。これに対し国政野党側は夏の参院選への弾みにしたい思惑が透け、陣営の位置付けとは乖離(かいり)していた。

 知事選と同様に「オール沖縄」候補として無所属で出馬した屋良氏の選対は、政党に属さない県議会会派おきなわの平良昭一氏と赤嶺昇氏が選対本部長と事務総長に就き、選挙戦を仕切った。そのため政党も集う「オール沖縄」内では不協和音もささやかれた。

 辺野古移設「容認」を掲げ、元沖縄担当相として知名度の高い島尻安伊子氏と比べ、元新聞記者の屋良氏の知名度は一般有権者にとってゼロに等しかった。当初は「支援者からも島尻氏の名前は出ても屋良氏の名前は出なかった」(陣営関係者)と振り返る。

 屋良陣営は知名度不足の克服のため、3区選出の衆院議員だった玉城デニー知事の知名度を活用する戦略を描いた。しかし玉城知事は公務を優先し街頭に立つことに消極的だった。知事が訪中で選挙戦最終盤の“三日攻防”に不在であることが判明すると、陣営幹部は知事公舎に駆け込み「負けたら知事の責任だ」とまくしたてた。陣営幹部の説得もあり、知事は訪中の日程を前倒ししたのに加え、公務の合間をぬって幾度も街頭に立った。

 さらなる知名度向上のため、屋良氏を擁立した自由党の小沢一郎代表は1日50本のスポット演説のノルマを屋良氏に課した。屋良氏は有権者とスキンシップを取り政策を訴える“どぶ板選挙”を徹底。そのうち支援者から「生の屋良をもっと出してくれ」との声が増していった。陣営幹部は「経験を生かした話は理路整然として分かりやすい。期待を持たせる人物だ」と評価する。

 ただ「知事頼み」や本人のフットワーク頼みの選挙戦に陣営内からは「選対幹部は何の戦略も描けていない。態勢も全くなっていない」と反発の声も上がった。告示直後に、選挙公報などに掲載された屋良氏の経歴に誤りがあることが発覚、屋良氏は謝罪に追い込まれた。誤記載は自由党職員と印刷業者によるミスと釈明したが、ミスを見抜けなかった選対の弱さを印象付けた。陣営幹部の一人は「誤記載で1万は島尻氏に流れ、1万は投票に行かず、計2万票は流れた」と指摘する。

 報道各社の世論調査や出口調査で終始、「優位」に選挙戦を展開していると報じられた屋良氏だが、ふたを開けると1万7728票差。投票率は県内の国政選挙では最低となる43・99%だった。陣営幹部の一人は「結局、揺るがない辺野古『反対』の民意で勝てただけ。本来なら圧倒的な勝利を収めないといけない。組織態勢に課題は多く、今回の票差では次の本選でも必ず島尻氏は出てくる」と冷静に語った。
 (衆院補選取材班)