打越正行さん(社会学者) 暴走族のパシリになり加害と被害の構造に迫る 沖縄ヤンキー世界に密着 藤井誠二の沖縄ひと物語(2)


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 「ここで何してるんですか。東京から来たんだけど、よかったらいろいろ話、聞かせてくれません?みんなは今日どっからきたん?」

 深夜、国道58号線の牧港にあるコンビニの駐車場にたむろしている暴走族の若者たちに打越正行さんは声をかけた。30歳になる手前の頃だった。

建設作業現場の従業員たちとよく飲みに通ったスナックがあった雑居ビルの階段で当時を振り返る打越正行さん=2月19日、沖縄市(ジャン松元撮影)

 なるべく丁寧な言葉づかいで声をかけたつもりだったが、つい出身地の広島弁が出た。大学院生だったので「学生」だと自己紹介し、「論文」を書くための調査をさせてほしいので仲間に入れてほしいとアタマを下げた。

 「は? ナニ言ってるば? このナイチャー」

 ヤンキー中学生たちが訝(いぶか)るのは当然。中には暴走族雑誌の取材だと勘違いしたり、私服の警察官に違いないと疑いの目を向ける者もいた。つまり、相手にされなかった。

パシリで調査

 しかし毎日のように通い続け、彼らの改造小型バイクの写真を撮影して配ったり、暴走行為を見物しているギャラリーと呼ばれる若者たちに声をかけ続けていくと、彼らが頻繁に情報交換している沖縄のネット掲示板で[怪しいライターがきた][あいつ巡査だろ]と書かれ、存在はあっと言う間に知れ渡った。

 しかし、何人かが[巡査じゃないよ]と書き込んでくれて、逆に珍しがられて少年たちから声をかけられるようになった。

 「その半年くらい後に、彼らのグループに出入りさせてもらうようになり、彼らがアジトと呼んでいたバイク倉庫に入り浸りながらバイクの改造を手伝ったり、買い出しに行かされたりするなどのパシリ(下働き)をして調査をするようになったんです」

 それから10年。打越さんは暴走族や暴走族OBと濃密に付き合い、数カ月は彼らとともに過酷な建築現場で働き、調査を続けた。

 頼んで入れてもらった「下っ端」なので無理な頼みごとをされたり、ムカついている時に蹴りを入れられ、殴られることもあった。

 「彼らを怖いと思ったことはないです。彼らの生活や世界をまずは知りたいという気持ちだけが勝り、だんだんと話が通じて、思った以上に相手にしてくれました」。人懐っこい笑顔でそう飄々(ひょうひょう)と語る。

 琉球大学を卒業後、首都大学東京で博士号(社会学)を取得した。2006年から沖縄に再び通うようになり、少年たちの調査を始めた。沖縄の少年たちの中に飛び込んで調査をし、伝えることは学問として価値があると思った。

 それにしても、30歳手前の、彼らから見たらオッサンがパシリになるなんて躊躇(ちゅうちょ)しなかったんですか。そう打越さんに聞くと、やっぱりけらけらと笑った。

 「国道58号線沿いのコンビニの前で直に当たるのが自分にとっては自然なやり方でした。それに、後から考えると私自身も小学校から中学生にかけて先輩や強い同級生のパシリをしていたので、白旗あげて過ごすほうがいいという身の処し方が分かっていたのかも知れません」

 沖縄のヤンキー少年たちは最初はぎこちなく「打越さん」と呼んでいたが、すぐに「おい、打越」と呼び捨てにするようになったそうだ。

絶対の権力関係

 10年間で分かったのは、沖縄における中学を核にした先輩・後輩の絶対的な権力関係だ。後輩は「兵隊」と呼ばれるという。

 「彼らは中学を出ると過酷な建築現場で働くことがほとんどです。賃金が安い上にほとんど昇給しない、かつ将来への見通しも持ちづらい不安定さ。人間関係は地元の中学の先輩後輩でがっちりと固められていて、どこにも逃げていけなくなっている」

大学の図書館で研究中の打越正行さん=2月19日、宜野湾市の沖縄国際大学(ジャン松元撮影)

 「ですが、このかたちが建築会社にはマッチする。仕事がない時は地元の後輩を休ませる、ある時は無理やりでも連れてくる。それを続けていかないと会社自体がつぶれてしまい、地元の後輩たちも失業します。その代わり、少年院に行こうが、地元に戻ってきたら声をかけて受け入れる。つまり地元の建築会社には終身雇用制がつくられていたわけです」

 「地元」という逃げたくても逃げられない結界が張られている現実。沖縄の「近くて遠い」現実の一つだ。

 「仕事が安定的にあり、昇給していく仕組みをつくるためには、建築業の仕事を安定して沖縄にまわすことが欠かせません。彼らが働く沖縄の小さな建設会社は、内地のゼネコンの下請けや孫請けだから給料が上がらない。建設業協会が求めていた県内企業の完全受注はいまだに実現していません」

 「働く彼らが将来の展望を描けること、また自分たちは地元だけでなく、さまざまな社会的な人のつながりの中で生きていることを自覚することで、暴力をふるったら将来にマイナスだということが彼らの生活で実感されます」

 しかし、ナイチャーの研究者であることを、打越さんはいつも自分に言い聞かせている。

 「彼らの多くは、実質的にうっとぅ(後輩)や女性をくるす加害者ですが、同時に構造的差別の被害者でもあります。まずは、彼らがどんな過酷な世界に生きているのかを徹底的に調査して掴むこと、それゆえに暴力に結び付きやすいということを描くことは、彼らの暴力が個人の人格や男らしさを恐怖症的に迫られることだけでは説明できない、沖縄の地元社会の文脈から生じる暴力であるということについて描くことです」

 「それは言い換えれば本土の人が構造的に強いて放置し続けている現状から発生している暴力であり、本土の人にそのことを伝えなければならない。そのための枠組みや概念をつくるのが私の仕事だと考えています」

 何でも自己責任にする風潮の中で著書『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』において、彼らの生活世界を記録した打越さんの仕事の意味は大きい。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

打越正行

 うちこし・まさゆき 1979年広島生まれ。社会学者。現在は、特定非営利活動法人 社会理論・動態研究所にて研究し、沖縄国際大学南島文化研究所にて働き、琉球大学にて教えている。3月に『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』を筑摩書房より刊行した。本人曰(いわ)く、「そこで書いたことは、現実世界を懸命に生きる人びとの生き様だ。そこには知的な魅力があり、また過酷な現実があり、それを知らなかった自身への反省がある」

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。