「赤土」ラッパー RITTOさん サッカー少年が沖縄を代表するラッパーになった 「自分に正直になれるのがヒップホップ」 藤井誠二の沖縄ひと物語(4)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 リリック(歌詞)が浮かぶのは朝、目覚めたときだ。夢現(ゆめうつつ)の感覚で言葉が走り出す。そのままノートに書きつける。アイフォンで書くときもあるが、必ず紙に書き写す。リズムは思いつくと、忘れないようにアイフォンに吹き込む。

[本質 争い避ける島の血統と美学 自ら犠牲となるヒストリーの裏側 現在進行形 闘う為の拳が腐る前にもう一度首里城を見つめる 唄と踊り繋(つな)ぐ気持ちアツイハートが正真正銘のリアルピース生み出す](「ミラナイニナイ」・アルバム「AKEBONO」所収)

 RITTO(リット)さんがラッパーとして属する沖縄を代表するヒップホップグループ「赤土」(あかづち)は2009年に結成、日本のヒップホップ界ではすでに知名度が高い。年間で県内外合わせて100本以上のライブをおこなう。

幼い頃によく遊んでいた那覇市曙の路地でポーズを取るRITTOさん=1月15日(ジャン松元撮影)

出会いはアメリカ

 ヒップホップミュージックのルーツは1970年代のアメリカ。アフリカ系アメリカ人=黒人が受けていた差別や偏見、理不尽、貧困に対して起こされたカウンターカルチャーだ。沖縄が「日本」の中で置かれた状況はそれと共通点があり、「だから沖縄では若い世代に受け入れられる土壌がもともとあったし、アメリカ文化がすぐ近くにあったせいもあってヒップホップカルチャーに親和性が高いと思う」。そうRITTOさんは沖縄とヒップホップミュージックについて語り、「沖縄は音楽のセンスいい人が多いし、ヒップホップは不良のイメージがあるかもしれないけど、言葉の選び方や運び方とか、すごく知的なものだと思う」と付け加えた。

 ヒップホップの言葉ってすごいな。どうやって言葉を繰り出していくんだ?―そう、フェスで共演した、テレビなどで見慣れた沖縄のメジャーバンドから驚きをもって尋ねられたこともある。

 出会いはアメリカだった。小学生の時、アメリカ人と結婚した親族を訊(たず)ねてコロラドに滞在したことがあった。学校にも通うことになった。サッカーの巧(うま)さでは群を抜いていたから、サッカーチームにも入り、すぐに人気者になった。デンバーまで遠征するバスの中で聴いたことがない音楽が流れ、チーム全員が踊りだした。クーリオの「ギャングスターパラダイス」という曲だった。

「そのインパクトだけずっと身体(からだ)に残っていて、中2のときにテレビでたまたまその曲のプロモーションビデオを観(み)て、また衝撃を受けたんです。そしてヒップホップにハマっていって、プロサッカー選手を目指していたんですが、高校になると、もう音楽のほうが楽しいって思った。ヒップホップをリスペクトして、歴史とかも本やビデオで勉強しまくりました」

 サッカーと入れ替えるようにして、ラッパーとして本格的に活動を始めた。高校を卒業したあと愛知県で働いていた数年間もCDを自主制作し、名古屋最大の繁華街・栄のライブハウスに出演していた。全国的に有名なラップ選手権で沖縄代表に選ばれるほどの実力に達していた。

「ヒップホップがあったから、辛(つら)いときに乗り越えられたし、俺も音楽で生きていきたいと思うことができたし、人間として成長させてくれた。自分の思いも、沖縄のことも伝えられる。常にヒップホップがあって俺の生活がある。自分に正直になれるのがヒップホップだと思う。だから沖縄のことも意識的に打ち出すより、自然に出るかんじです。歌詞で方言を使うのもそういうことです」

曙ゲットー

 よく聴く音楽は? という質問に登川誠仁をあげた。「民謡はかっこいいし、破天荒な生き方にも憧れます。そういうものがバイブス(気分が高揚する)につながるんです」

手書きの歌詞を見ながら録音するRITTOさん=1月17日、那覇市内のスタジオ(ジャン松元撮影)

 「赤土」のクルーにもアメリカ人DJがいる。「僕がこっちに来た理由とかわかる? とか聞いてくるんです。アメリカ人同士では話さない話題だそうです。日本語と英語でコミュケーションをとりますが、親友としてそのクルーの気持ちもわかるし、生まれたときから基地はあるから慣れてしまっているところもあるし、反対しているおばあの感情も大事だと思うし……考えがごちゃごちゃになるんです」。そう率直に言った。

 RITTOさんが小学生のときに石垣島から移り住んだ那覇市曙を一緒に歩いた。倉庫と住宅地が隣り合っている、この街のことをRITTOさんは親愛をこめて「曙ゲットー」と呼ぶ。ヒップホップでゲットーとは、貧困で荒廃した地域を称するのが一般的だが、「俺たちの街ってことです。小学校転校初日から、よろしく! とかっとばしてたんで『いきってんじゃねーよ』ってボコボコにされた。まだ小学生ですよ。でもそこから仲良くなったんです。俺の家は母子家庭で、おふくろは昼も夜も働いてて、家を空けていることが多かったんですが、いっしょの環境のやつがいっぱいいたから」

 どこにでもある普通の住宅街だが、「夜になると、さびしくて、ヤンチャやってるやつが出てきます」とRITTOさんは笑いながら、母校の小学校の前を歩いた。

 「赤土」というグループ名も「響きがいいから」とクルーの一人のアイディアでつけたが、「服についたら落ちにくいとか、珊瑚(さんご)を殺すとか、ちょっとイメージ悪いかもしれないですね」と笑った。「そこを逆手にとって『俺たち沖縄の赤土に出会えた』というふうに受け取ってくれたらいい」そう言って信号で立ち止まり、住んでいた街をゆっくりと見渡した。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

RITTO

 リット 1984年、石垣島生まれ。17歳でラップを始め、2009年、仲間と共に「赤土」を結成。13年、自身初のフルアルバム「AKEBONO」を発表。17年、OLIVE OILとのアルバム『アブサン 2014~2017』をリリース、クラブ、野外フェスを含む全国20カ所を超えるツアーを敢行した。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。