「PIN-UP Gallery」オーナー 許田盛哉さん 元売春店舗でアートギャラリーを開いた理由 藤井誠二の沖縄ひと物語(5)


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 私が「沖縄アンダーグラウンド―売春街を生きた者たち」というノンフィクション作品を書くために宜野湾市の真栄原新町―当時は官民一体となった「浄化」作戦の打撃を受けてゴーストタウンに成り果てていた―を歩き回っていたころ、元売買春店舗を借りて、建物の原型をほぼ残しつつ自力で改装をしていたのが、当時、沖縄県内の大学を卒業して間もない許田盛哉さんだった。2011年のことだ。家賃は格安。自由に改装してもいいという条件だったが、現状そのままでの受け渡し。平屋の安普請の木造家屋にはアルミサッシの入り口が4カ所。売買春部屋が四つあったという証(あかし)だ。女性たちがさっきまでそこに佇(たたず)んでいたような生々しさが残っていた。

 「客を待つ女性たちが座っていた椅子もそのまま残っていました。布団やソファもそのまま。コンドームの脱け殻もありました。酒のボトルなどを並べた、バーに見せかけるためのカムフラージュの棚やカウンターもそのまま。違法風俗店なのに、違法風俗店反対のシールが貼ってあったりして驚きましたね。四つの部屋を仕切っていた壁はぶち抜いて、すべての壁を塗装しました。カウンターは残してその上に板を乗せただけ」

PIN―UP Gallery SPACEの空間に溶け込む許田盛哉さん=2月21日、宜野湾市真栄原(ジャン松元撮影)

改装に5年

 改装に5年もかかった。といっても、最初のころは置きっぱなしになっていたものをゴミとして処分することだけで精いっぱいでしたよ、と許田さんは当時を振り返った。ベッドは前のオーナーが使っていたものも含めて12個もあった。「あとは照明器具ですね。入り口から部屋の照明までぜんぶピンク色でした」

 当初はギャラリーにすることを考えてはおらず、一人で住むことを考えていたという。だから「業者を使わずに、自分で作業したり、友だちに手伝ったりしてもらいました。そのあいだはカフェのチラシのデザインや、建築現場で排煙オペレーターという排煙設備を取り付ける手配をする仕事をして食いつないでいて、じつは今月(2月)末まで続けていたんです。ようやくギャラリーだけでおカネがまわるようになってきたので、来月(3月)からここに専念をしようかなと思っています」

 ギャラリーをやろうと思い立ったのは、「改装をしていくうちに独りでは広いなと感じ始めて、だったら半分を使って何か店をできないかとアイディアが浮かんから」。許田さんはさまざまなアート系のイベントや展示会とかに遊びにいくのが好きだったし、現代美術にも強い興味があった。たまたま2013年にニューヨークにいく機会があり、MOMA美術館やニューヨーク近代美術館などを回った。

 「そのときにギャラリーをやろうと決めたんです。改装を続けているうちに周囲にマンションや一軒家が建ち始めたので、大きな音楽をかけるライブハウスのような店はできにくいと思ったこともあります」

 それにしても、なぜ真栄原新町に住もうと思ったのか。いまだに殺伐とした空気が漂う街で、自分の旗を掲げる思いはどんなものだったのか。

 「大学に通うために那覇に住んでいたのですが、生まれ育った嘉数にいったん戻りました。そして引っ越しを考えてて一軒家の物件を探していて―地元ということもありましたが―通学路だった新町の物件と出合ったんです。地元では小学生でも、昼間からお姉さんたちを見ていて、どういう街なのかは知っていました。売買春の街だったここでギャラリーをやるのは、そのギャップがおもしろいなと思ったんです」

再生

 自分だけの空間が欲しいという気持ちも強かった。そして、「消滅」した街で、自分の力だけでゼロから発信を始めることに、心が躍るような感覚を覚えた。自分の感性でどこまでできるのかを試してみたい気持ちもあった。

 「売買春はたしかに違法だけど、戦後、さまざまな事情があってできた街で、たくさんの人が生きてきた街です。それを単に負の歴史というひどい目線で見てつぶして作り替えてしまうのが受け入れ難かった。もっと違う街の再生はできないだろうかとも、だんだん考えるようになったんです」

薄れ行く“新町”の情景の中にたたずむ許田盛哉さん=2月21日、宜野湾市真栄原(ジャン松元撮影)

 店にやってくる若者たちと話していると、20代後半以上だとここがどういう街だったかわかるが、それ以下になるとわからない。

 「ここのお店に若い世代が来てくれることによって歴史を知ることも多いです。そういう街の歴史を知るスペースになっているとも思います。もともとの建築を残しているのもそういう思いから。県内外や海外から人が来ますが、アートを見てほしいと同時に、新町という街があったことも知ってほしい」

 最初の1年ほどは展示をしてくれるアーティストを探したが、いまはギャラリーを使わせてほしいというオファーによる企画が増えてきた。オープン前から、リスペクトしていた、宜野湾出身の写真家の石川竜一さんの展示をすることは一つの夢だったが、許田さんの思いは石川さんに伝わり、展示を何度かおこない、作品や写真集も託され、販売もできるようになった。県内外から人が集まるようになった。

 「特別な戦後史を背負った沖縄の街だからこそ、うちで展示されるアート作品が見る人に、何らかの特別な意味を帯びたメッセージを与えることもあると思うんです」

 建物に再び魂を吹き込み、ゴーストタウンのような街で発光すること。その行為自体がすでにアートなのだ。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

許田盛哉

 きょだ・もりや 1988年沖縄県生まれ。沖縄大学2011年3月卒業。「PIN―UP Gallery」のオーナー。違法風俗店街だった旧・真栄原社交街の通称「新町」地域で2011年から住民として暮らしながら、2017年5月に「PIN―UP Gallery」をオープン。ギャラリー内にはドリンクを提供するバースペースも設けている。近年の展覧会に石川竜一の個展「adrenami(a)x」(2018)など。本人自ら作品の被写体となることもあり、そちらの面でも作家の制作活動に貢献している。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。