激動越え成長加速 観光客1千万人時代へ 〈平成の沖縄経済〉


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄経済にとって平成は激動の時代となった。昭和末期のバブル景気が崩壊したあおりを受けて1990年代は県内でも企業倒産が相次ぎ、高い失業率が深刻化していった。2000年代に入るとG8サミット開催、沖縄ブームを追い風に、観光入域客の増加や情報技術関連企業の誘致など新たな産業の創出が進む。一方で米国の同時多発テロ発生やリーマンショックなど外部要因にも翻弄(ほんろう)された。直近では観光客1千万人に向けて拡大する観光業をけん引役に県内景気が回復し、県経済は足腰の強さを備えてきた。大きく変化した平成30年の沖縄経済を振り返る。

◆混迷期(1989~99年) バブル崩壊でリゾート痛手 倒産相次ぐ

 平成の始まりは、沖縄も他府県と同様にバブルに翻弄された。昭和の終わりに近い1987年に総合保養地域整備法、いわゆるリゾート法が制定されたこともあり、全国的にリゾート開発熱が高まり、沖縄にも県外の開発業者が多く入ってきていた。

 しかし91年、バブルが崩壊すると状況が変わる。沖縄ではパレットくもじのオープンや県の沖縄トロピカルリゾート構想策定など前向きなニュースが続く一方で、県外資本は素早く投資を引き上げ始めた。

 当時を知る県内地銀関係者は「都市銀行や長期信用銀行の多くが沖縄のリゾート開発に融資していたが、いち早く投資を回収した。引き上げられた分を、地元経済を支える責任がある地銀が引き受ける形になった」と振り返る。

 金融機関の不良債権処理は長引き、97年に北海道拓殖銀行と山一証券が破綻し全国的に衝撃が走った。県内でも99年、琉球銀行が多額の不良債権処理で低下した自己資本比率を増強するために、公的資金400億円を導入した。

 琉銀関係者は「シェアが大きかった故に強く影響を受けた。バブルの崩壊以降もじわじわと影響が拡大していった」と振り返った。

 東京商工リサーチ沖縄支店の調査によると、90年の県内の倒産件数(負債総額1千万円以上)は183件、負債額は321億7600万円だったが、91年には268件、843億8千万円、92年には312件、907億1200万円と大きく増えた。

会社更生法の適用を申請した有村産業の記者会見=那覇市港町のアクロスセンター(1999年5月24日)

 99年には有村産業が設備投資過多による借入金負担などで会社更生法の適用を申請した。

 百貨店の沖縄山形屋も競争激化や不況による個人消費の落ち込みを受けて閉店するなど、バブル崩壊の影響は長く続いた。

 東京商工リサーチ沖縄支店で90年から30年近く沖縄経済を見続けてきた友利政人支店長は「沖縄経済は、今の好景気が始まった2011年ごろまでずっとバブルの負の遺産の精算を続けてきた」と指摘した。

 (沖田有吾)

◆助走期(2000~10年) 9・11、リーマン直撃も情報産業を集積

 沖縄経済が混迷しながらも飛躍に向かう芽出しを見せ始めた2000年代。00年7月に九州・沖縄サミットが名護市の万国津梁館で開催された。首里城がデザインされた2千円札が発行され、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産に登録されたのもこの年で、沖縄が国内外の注目を集めたのをきっかけに観光や情報産業発展に向けた助走が始まった。

 サミット開催を機に国際会議の誘致などの機運が高まり、近年のMICE施設整備に向けた源流となった。当時としては最先端の情報通信網が本島北部まで整備されたことで、名護市などの要望で沖縄の金融特区や情報特区指定に向けた流れも動き始めた。

 こうした流れを一気に冷え込ませたのが01年の米中枢同時テロだった。同年4月にNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の放映が始まるなど、沖縄ブームが上昇気流に乗り掛けていた9月11日、米ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた航空機が衝突した。

「だいじょうぶさぁ~沖縄」のキャンペーンを展開する関係者ら=2001年12月、那覇市内

 「基地が集中する沖縄はテロの標的になる可能性がある」と沖縄への修学旅行をやめる学校が相次ぎ、最終的に9割近いキャンセルが出た。右肩上がりだった県内入域観光客数にブレーキが掛かり、修学旅行の受け入れを収入の柱とする中小観光業者をはじめ観光業界に激震が走った。

 08年には米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻を発端にリーマンショックが起き、世界経済が低迷する中で県の入域観光客数は再び落ち込んだ。

 県ホテル旅館生活衛生同業組合宮里一郎理事長は「9・11のとき、最初は対岸の火事だと思っていたが影響はすさまじかった。すぐに県や国に要請活動をし、官民連携で『だいじょうぶさぁー沖縄』という観光誘客キャンペーンを展開した。落ち込みは数年で回復したが、リーマンショックで再び苦境に立たされた。廃業したホテルもあった」と振り返る。

 情報技術(IT)の進展やインターネットの普及という世界的な流れの中で、情報通信産業の県内進出は00年代以降、大きく伸びた。県は02年4月、情報産業振興課を新設し、関連企業の誘致を進めた。00年に50社未満だった県内の情報通信関連企業立地件数は、10年末に216社に拡大。雇用吸収力の大きいコールセンターなど進出は増え続けて17年に計454社、雇用者数は2万9379人となった。17年の情報通信産業の売上高は4361億円に達し、観光業に次ぐ県のリーディング産業に成長している。(外間愛也)

◆拡大期(2011~19年) 過去にない好景気到来 雇用改善、観光がけん引

 平成の時代が終盤を迎えると、沖縄経済は過去に例がないほどの好景気を迎えた。日本銀行那覇支店の県内企業短期経済観測調査は28四半期連続でプラス超となり、バブル期を超えて最長記録を更新している。沖縄を訪れる観光客は2018年度に999万9千人を記録し、令和の時代には1千万人を超えることが確実視される。

 11年以降、入国査証(ビザ)の発給要件緩和や円安の進行で日本を訪れる外国客が増え、中でもアジアに近い位置にある沖縄には中国や台湾から観光客が多く訪れるようになった。格安航空会社(LCC)を中心にアジア各国と沖縄を結ぶ航空路線が充実し、大型クルーズ船の寄港が増加して外国人観光客は右肩上がりに伸びた。

 リゾートホテル開発や雇用改善による県民の購買力の拡大などで建設業や小売業も活況を呈し、景気の好循環はさまざまな業種に広がる。08年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災で日本経済は打撃を受けたが、沖縄の景気回復の基調は全国でもトップクラスの力強さを見せる。

相次ぐホテル建設など拡大が続く沖縄経済=2018年12月、那覇市の国際通り

 イオンモール沖縄ライカムが15年に開業するなど大型商業施設が県内各地に立地し、飲食、ドラッグストアなど県外チェーン店の沖縄進出も相次ぐ。今年7月にはコンビニ国内大手のセブン―イレブンが全国で唯一の空白地だった沖縄でついに営業を始めることなり、小売・流通業界は新たな競争時代を迎える。

 リウボウホールディングスの糸数剛一会長は「全国的に人口減が続く中で、人口が増加して外国客も増える沖縄は進出すべきマーケットと見られている」と指摘する。

 県外大手との競争激化で県内の中小企業は苦戦を強いられている。県中小企業団体中央会の景況調査は18カ月連続でマイナス超が続く。糸数会長は「今の好況を喜ぶのは一部の企業だけだ。中小企業は生き残るために大変な思いをしており、知恵を出して勝ち残る方法を考える必要がある」と語った。

 観光業や建設業、小売業などの活性化で求人が増加し、県内の有効求人倍率は1倍を超え、完全失業率は18年平均で月によっては全国を下回る水準まで達している。ブルームーンパートナーズの伊波貢代表は「以前は日本に追いつくことが目的だったが、今は状況が大きく変わっている」と強調する。アジア地域は急速に成長し、新たなマーケットとして注目度も高まっている。伊波氏は「沖縄はこれまでの何十年とは違う環境となった。国際的な視点を持ってギアチェンジをするべきだ」と言う。平成から令和への移り変わりとともに、沖縄経済もさらなる進化が求められている。(平安太一)