「慰霊の日」が休みでなくなる? 休日廃止問題で世論沸騰〈平成の沖縄 基地・平和・いのち 中〉


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 6月23日の「慰霊の日」休日廃止を巡り、県内世論が沸騰したのは1989年。政府が行政機関の土曜日閉庁を導入する法改正を行ったことにより、県が慰霊の日の休日を廃止すると明らかにした。県遺族連合会が休日存続に関する署名簿を提出するなど、さまざまな団体が存続を求め運動を展開した。翌90年に存続が決まったものの、戦争体験を踏まえ平和を希求する「沖縄のこころ」が揺さぶられる出来事だった。

 平和の発信拠点も相次いで完成した。沖縄戦で看護要員として動員され、多くが犠牲となった「ひめゆり学徒隊」の生存者らが中心となり、89年にひめゆり平和祈念資料館が開館。95年には大田昌秀元知事の平和県政を象徴する事業「平和の礎」が建立された。敵味方の区別なく全ての戦没者の名前を刻み、24万人余が生きた証しを示している。対馬丸記念館は2004年にオープンした。00年開館の新しい県平和祈念資料館では、沖縄戦の残虐な実態を薄めるような修正、変更を予定していることが判明し、県民から抗議の声が湧き起こった。結局、展示内容を見直し開館を迎えたが、平和継承の在り方に一石が投じられた。(前森智香子)


県遺族連合会会長・宮城篤正さん 戦 語り継ぐ決意

宮城篤正さん

 「慰霊の日」休日問題では、遺族連合会の先輩方がずいぶん動いたと聞いた。戦没者遺族を二度とつくらない。これが遺族会の活動の原点だ。子や孫たちには絶対に戦争を体験してほしくない。戦争のことは未来永劫(えいごう)語り継がなくてはならないと考える。

 平和の礎建立の際には、遺族会も協力して各市町村単位で名簿の掘り起こしに尽くした。大変地道な作業で、嘉手納町遺族会でも一軒一軒訪ねていった。今もなお「家族の生きた証しを残したい」と追加刻銘する方たちがいる。この事業に関しては大田昌秀元知事に「よくぞやってくれた」という思いだ。

 平成の時代で、後継者の問題が浮き彫りになった。遺族も高齢になり、会として長年続けていた遺骨収集作業は2016年から中断となった。県内に400カ所以上ある慰霊塔の管理も難しくなっている。体験を継承し、令和は平和で豊かな時代になってほしい。