「戦争しない国の象徴として天皇は力を尽くさないといけない」。戦前、戦中の皇民化教育や身内を含めた沖縄戦の犠牲、戦後の首相による靖国参拝などを振り返りながら、中城村の名護良健さん(82)は戦後生まれの天皇が即位した新たな時代に不安と期待が交錯する複雑な思いを口にした。
1936年、那覇市首里に生まれた。郵便局に勤務していた父親の関係で甲辰国民学校近くに移り住み、同校に通学した。天皇の写真「御真影」を納めた「奉安殿」の前で敬礼し登下校するなど、皇民化教育を徹底して受けた。
戦争が激化する中、母と妹2人の4人で大分県に疎開し沖縄戦の戦禍から逃れることができた。しかし祖母と叔父は金武町で犠牲となった。母校は戦火に消え、級友の多くが、疎開する学童らを乗せた「対馬丸」の沈没などで命を落とした。
「天皇のため、ここまで犠牲を払わなければならなかったのか」。戦後、国の在り方に疑念が膨らんだ。そんな中、叔母の家に叔父の靖国神社合祀(ごうし)に関する資料が届いていたことを知った。靖国神社は天皇の戦争のため戦死した軍人・軍属だけでなく、1978年には戦争責任を問われたA級戦犯も合祀された。「靖国は国策に殉じた人を『英霊』としてまつる所。しかし、叔父は天皇の犠牲者だ。一緒にあがめられることに我慢できなかった」
2002年9月、小泉純一郎首相(当時)による靖国神社参拝は違憲で精神的苦痛を受けたとして、県内の戦争遺族らが首相と国を相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。名護さんも原告副団長として法廷に立った。「靖国は戦争を美化する装置だ。再び戦争する国にしてはいけない」と闘ったが、思いは届かず裁判所は原告側の主張を全面的に退けた。その後も安倍晋三首相が13年に参拝するなど政治家の参拝は露骨になっている。
A級戦犯が合祀されて以降、昭和天皇は靖国神社を参拝していない。平成の天皇も靖国を詣でなかった。「平成の天皇は戦争を始めた昭和天皇を償うため戦跡や激戦地に通い続けた。その中で靖国に参拝しなかった意味を考える必要がある」と強調する。その上で新天皇が即位し令和を迎えたことに「日本はどういう風に変わるのか」と不安を募らせる。
現政権が戦力不保持を定めた憲法9条に自衛隊の存在を明記しようとする動きを危ぶみ「新しい天皇は先の戦争をどう見つめるのか。父の『憲法に従う』という精神も引き継ぐのか。特に基地を抱える沖縄とどう関わるのか注視しなければならない」と強調した。(謝花史哲)
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平成の30年余、沖縄戦の実相をゆがめる動きが顕著になった。一方では改憲の動きが加速した。「護憲」の意味を沖縄から考える。