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沖縄の基地と核 集中の根底にある差別<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 外交には、理想主義と現実主義という2つの考え方がある。理想主義者は性善説に立ち、外交交渉によって戦争を回避することが可能であると考える。これに対して現実主義者は性悪説に立つ。常に他国の悪意を想定して、自国を守るべきと考える。

 理想主義的理念を持つ政治家や外交官でも、実務においては現実主義に傾く。核抑止による日本の安全保障を現実主義的に追求すると、沖縄に対する過重負担という差別に至る構造を見事に解明したノンフィクション作品「沖縄と核」(新潮社)が4月に出版された。著者の松岡哲平氏はNHKディレクターで2015年よりNHK沖縄放送局に勤務している。

 1950年代後半に米国は、反核感情が強い日本(本土)よりも沖縄に核兵器を配置する方が現実的と考えた。1957年に米国のプロパガンダ機関USIA(米国文化情報局)が行った世論調査の結果を踏まえ、松岡氏は〈重要なことは、当時アメリカが、日本人の反基地感情の源流を反核感情に見いだしており、そのことに強い警戒感を持っていたこと。そして、本土よりも沖縄に基地を置く方が、「ハードルが低い」と見なしていたことである〉(72ページ)という結論を導いている。

 このような米当局の認識の下で岐阜県と山梨県に駐留していた米海兵隊が、1950年代に沖縄に移動することになる。日本で反米軍基地闘争に取り組んだ人々も、闘争に「勝利」した結果が沖縄における米軍基地の過重負担をもたらしたという現実には鈍感だった。

 米国人も沖縄人を差別していた。50年代に沖縄で核使用を想定した訓練に参加した元海兵隊員ハリー・ミカリアンの認識が典型的だ。〈海兵隊の訓練に対し、沖縄の人々はどのような反応を示していたのだろうか。/「訓練場で私たちが食べた食料の残飯を、たくさんの貧しい沖縄人(Okinawans)が来て、拾っていました。十分な食べ物がなく、それほど貧しい状態にあることを見るのは辛いことでした。人々のそんな様子を見ると、私はある種、感情的になってしまったのを覚えています」〉

 〈(中略)「沖縄人は、我々の訓練の内容など知らなかったと思います。彼らは我々が軍隊だということは分かっていたでしょうが、核兵器を持っていたことなど知るよしもなかったでしょう。当時、沖縄の人々は高等な教育は受けていませんでした。彼らの多くは貧しい農民だったのです。日本人には教育を受けた人がたくさんいました。彼らには何が起こっているのか分かっていました。だけど人は農業に従事していると、他の物事に追いついていかないのです」/ミカリアンは、Okinawans(沖縄人)という言葉を使い、Japanese(日本人)と区別した。/貧しく教育レベルも低い沖縄は、日本本土と違い、核の訓練に何の遠慮もいらない場所だ――。/こうした意識は、区別というより「差別」と言った方が適当かもしれない。/別の文脈でミカリアンは、当時米軍の中にあった黒人差別について語った。そのときは慎重に言葉を選びながら、「人種差別に居心地の悪さを感じた」とも言った。/それに比べると、「沖縄人」について語るミカリアンの言葉はあっけらかんとしたもので、何の躊躇(ちゅうちょ)もなかった。/差別は、それを差別と意識していないからこそ起きるものなのだろう。そしてアメリカ軍の中にあるこうした無意識の差別こそが、沖縄への基地と核の集中をもたらしたのかもしれない〉(101~102ページ)。

 米国人と日本人による複合的差別意識が沖縄における基地と核の集中の根底にあることがよく分かる。

(作家・元外務省主任分析官)

(琉球新報 2019年5月4日掲載)