小説「宝島」の読後感 「暴力の島」印象与えないか<佐藤優のウチナー評論>


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 朝日新聞のある編集委員が〈真藤順丈さんの直木賞受賞作「宝島」は、米統治下の沖縄を舞台に男女3人の青春を描いた一級の作品であり、沖縄戦後史を知るよき教材でもある〉(4月10日「朝日新聞デジタル」)と書いている。同様の評価を東京の新聞記者や国会議員から聞く。

 確かにこの小説は、復帰前の沖縄における歴史的事件、具体的には、米軍曹に6歳女児が暴行、殺害された「由美子ちゃん事件(嘉手納幼女殺人事件)」(1955年9月4日に遺体発見)、宮森小学校米軍機墜落事故(59年6月30日)、「コザ騒動(いわゆるコザ暴動)」(70年12月20日)を作品の舞台としている。米軍基地から、物資を盗み出す戦果アギヤーと周辺の人々を中心に、生き残るために必死だった沖縄人たちを描く。

 〈コザでいちばんの戦果アギヤー(と、島の言葉で呼んだ。戦果をあげる者って意味さ)は琉球政府の行政主席よりも拳闘のチャンピオンよりも尊敬と寵愛(ちょうあい)を集めてやまない、地元にとって代えのきかない存在だった〉。主な舞台回しをするのは、オンちゃん、グスク、レイという3人の戦果アギヤーとオンちゃんの恋人のヤマコだ。いずれも戦災孤児だ。

 この作品で描かれた沖縄人の異界観とコザ騒動を結びつけている点も興味深い。

 〈だれもが、なにかを、償わせようとしている。/われらが沖縄人は、世界の終わりにたどりついていた。/グスクの視界に飛びこんでくるのはそういう景観だった。コザの中心部で起こった騒動が刻一刻とその震度を深めている(われら語り部が神かけて断言しよう、震源地となった交差点はあたかも垂直方向のオボツカグラと水平方向のニライカナイが交わるところ。この島がつむいできた壮烈な歴史の、めくるめくウチナーの叙事詩の到達点といってまちがいなかった)〉。

 ただし、沖縄の叙事詩は、このような暴力的な爆発のみで示されるのではない。文学やスポーツなど、文化の力によっても示される。この小説が扱っている時期ならば、大城立裕氏が沖縄出身の作家として初の芥川賞を受賞(67年)したこと、68年夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)で興南高校が準決勝に進出したことが、沖縄人を勇気づけた。この時期の本紙縮刷版を調べれば、「日本人と台頭に競争することができる」という自信をこの2つの出来事がもたらしたことがわかるはずだ。

 コザ騒動に関しても、死者が発生しない限定された暴力であったことへの眼差しも欠けている。また、やんばる(沖縄県国頭郡と名護市)に対する登場人物のまなざしが〈破門や追放の目にあったごろつきが雲隠れする治外法権の土地として知られていた〉というもので、これはあまりに乱暴だ。やんばるの戦争を描いた大城貞俊氏の『椎の川』のような深みがない。筆者はやんばるの公立名桜大学で教壇に立っているので、特にこの箇所に強い違和感を覚えた。

 本書を通じて、沖縄人が日本人に対して覚える複雑な感情についての理解が深めることができるかもしれない。他方、基地と暴力の島に、われわれと異なる思考と行動をする人々が住んでいるという不気味な感想を日本人に与える可能性もある。判断が難しい小説だ。筆者は読後感はよくなかった。ざらざらした砂のようなものが心に残った。

(作家・元外務省主任分析官)

(琉球新報 2019年6月8日掲載)