玉城デニー知事と小説「宝島」 慎重にしたい政治への引用<佐藤優のウチナー評論>


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 月刊『文藝春秋』7月号に玉城デニー知事が「沖縄はすべての基地に反対ではない」と題する寄稿をした。

 〈私は「反米」でも、「反安保」でも、そして「米軍の全基地の即時撤去」を求めているわけではない、という意味では「反基地」でもありません〉という基本認識に基づいて、〈「これ以上、新しい基地は引き受けられない」「あまりに偏っている沖縄の負担を軽減してほしい」「日米安保が日本にとって不可欠で、それほど重要なら、その負担は沖縄だけでなく日本全体で担ってほしい」。それが沖縄県民の思いなのです〉と強調する。この言説を筆者も支持する。

 ただし、この論考で評者が強く違和感を覚えた箇所がある。コザ騒動に関して玉城知事は自身の経験と真藤順丈氏の小説『宝島』を結びつけて論じている。

 〈一九七〇年のコザ騒動はいまでも鮮明に覚えています。米兵が沖縄県民を轢(ひ)いた交通事故を契機に人々の不満が爆発し、米軍車両や施設を焼き討ちした事件です。〉

 〈小学五年生だった当時、私は母とコザの米兵たちの飲み屋街近くの長屋に住んでいました。騒動の翌朝、現場に行ってみたら、火は収まっていましたが、オイルやタイヤの焼けこげた匂いが充満していて、まだ大人たちが大勢集まって騒いでいた。本当に戦争が起こるかもしれないという不安も感じました。〉

 〈先日、直木賞を受賞した真藤順丈さんの小説『宝島』は、沖縄に住む若者に焦点をあて、一九五二年から約二十年の歳月の流れを描いた作品ですが、まさにコザ騒動の場面も克明に描いています。この小説を読んで、自分の体験とオーバーラップして、架空の物語には思えないような印象を受けました。〉

 玉城知事は、「本当に戦争が起こるかもしれないという不安も感じました」と述べているが、どこで戦争が起きると考えているのだろうか。文脈からすると沖縄である。米軍の横暴が受忍の臨界を超えると、沖縄人が暴力的爆発を起こし、戦争のような状態になると玉城知事が脅迫していると東京の政治エリート(政府関係者、国会議員、官僚)から受け止められる可能性がある。

 小説『宝島』には、前回の本連載で指摘したように、基地と暴力の島に、われわれと異なる思考と行動をする人々が住んでいるという不気味な感想を日本人に与える可能性があることを併せて考える必要がある。

 『宝島』では、米兵と沖縄人女性の間に生まれた小学校低学年の未就学孤児ウタが、金武のガマ(洞穴)に住んでいて、そこから毎日、徒歩でコザまでゴミあさりに通ってきているという設定になっている。地図を見ると片道で18キロメートルくらいある。こんなことが実際に可能だろうか。また、小説の最後で、沖縄人が大量破壊兵器のVXガスを用いて、テロを企てようとする場面も出てくる。

 『宝島』はあくまでもエンターテイメント小説として読むべきで、沖縄が抱える政治問題とこの小説を結びつけることに、沖縄人政治家は慎重であってほしいと筆者は願っている。

(作家・元外務省主任分析官)

(琉球新報 2019年6月15日掲載)