社会

フサコちゃんを捜しています 74年前に東京から沖縄に引っ越し 幼なじみ「生きているうちに会いたい」

琉球新報に送られてきた佐久川フサコさんの手がかりを求める出居克己さんからの手紙

 74年前、戦争のさなかに東京都中野区から沖縄に引っ越した佐久川フサコさんという女性を、幼なじみの出居克己(いでいかつみ)さん(87)=千葉県南房総市=が捜している。佐久川さんは80代前半とみられ、出居さんは名前を「房子」と記憶しているが、「ヒサコ」の可能性もある。出居さんは「沖縄に無事たどり着いたか、ずっと安否が気になっている。生きているうちに会わないと死んでも死にきれない」と情報を求めている。

 出居さんが佐久川さんと出会ったのは1940年代。出居さんによると、佐久川さんは東京都中野区の新山通り(現・中野区南台付近)で祖父母と3人で暮らしていて、同じ区立新山小学校(現・みなみの小学校)に通っていた。

 一緒に防火水槽でかくれんぼをして遊んだり、佐久川さん宅で金魚が卵を産む様子を観察したことが記憶に残っている。佐久川さんは出居さんよりも4歳くらい年下で「妹みたいにかわいがっていた」。

 祖父母の名前は覚えていないが、祖母は琉球からじを結ったかんざし姿で、近所で有名だった。中野区では45年5月、約2万戸が焼けた大規模な空襲があったが、出居さんの記憶では空襲前に佐久川さんたちは沖縄に旅立ったとみられる。その際、出居さんの母に佐久川さん一家からパンヤ綿のふかふかの布団を贈られ、別れを名残惜しんだのを今も覚えているという。

 引っ越し先は那覇付近とみられるが、正確な情報はない。結婚していれば名字が変わっている可能性もある。

 出居さんの妻・カホルさん(77)も那覇市出身で、沖縄とのつながりが強く、夫婦一緒に佐久川さんを捜している。出居さんは「子ども時代の記憶で情報は少ないが、昔の思い出を一緒に語りたい。生きているうちに会わないと死んでも死にきれない」と手がかりを求めている。



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