「光景忘れられない」 慰霊祭に毎年参列する漢那宗雄さん 宮森小米軍機墜落 


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犠牲者の霊に手を合わせる漢那宗雄さん=30日午前、うるま市石川の宮森小学校

 宮森小学校米軍ジェット機墜落事故で当時小学5年生で放送部だった漢那宗雄さん(70)は、部長の照屋菊江さん=同6年=の追悼のため、慰霊祭に毎年通い続けている。「何もできなかった」と悔やむ漢那さん。脳梗塞による後遺症で足を引きずりながらも参列し、犠牲者に祈りをささげた。

 事故の瞬間、漢那さんは教室の黒板に何かを書いていた記憶がある。ジェット機の衝突音を聞き、すぐに校内から逃げ出した。6年3組だった照屋さんの教室に機首とタイヤが激突。漢那さんが照屋さんを見つけた時には、やけどで顔が分からない状態だったという。「あの時の光景を忘れることはできない」。視線を落とし、つぶやいた。

 放送部は下校を促す夕刻の放送を毎日欠かさなかったが、事故後しばらく放送できなかった。漢那さんは事故を思い出さないよう、新聞配達のアルバイトに没頭した。「何かしていないと落ち着かなかった」と振り返る。

 今でも米軍機が上空を飛ぶたびに「落ち着かない」という。60年たった現在も米軍機による事故が相次いでいることに「せめて学校の上は飛ばないでほしい。なぜ沖縄の基地はなくならないのか」と訴えた。