〈12〉現代人の死生観 「死への過程」も重視


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 杜(もり)の都、仙台市で今年の老年医学会学術集会が開かれた。街を濃い緑に染める街路樹は、風雪に耐え、長い歴史を刻み、行きかう人々を癒やしてきた誇りをも感じさせた。

 津々浦々で語り伝えられてきた物語に裏打ちされ、民俗学者は「死生観は文化である」と表現した。時代と共に文化は変遷する。元気な産声でもって生命がスタートした時代と、超音波でもって母親の胎内に胎児の心臓の鼓動を聞くことが可能となった時代とでは、生命に対する考え方は異なってくる。

 時計の文字盤に例えて、生命の誕生から100日、七五三、十三祝い、成人式、結婚、還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、百寿…と「生」の営みは刻まれる。「死」についても葬儀の後、初七日から四十九日忌、百か日忌、一周忌から三十三回忌まで、時計の針は「面」を刻んでいく。

 これらの場面は「家」が引き継いできた。現代社会は「家」の概念が希薄になってきた。「面」を刻んできた「生」の営みが直線に変化してきた。「納骨」ではなく「散骨」の儀もある。直線は途絶え、終止符を連想させる。

 しかし現代社会においてもすべてが終わるのではなく、「来世」「浄土」「天国」「生まれ替わり」等、別の次元を思い描く人も多いと講演は結んだ。医学は単なる延命ではなく「QOL」つまり生活、命の質を重視する時代になった。QOLの向上は「QOD」、Dying(死への過程)をも重視する文化の創造へとつなげる必要性を説いた。

 老人保健施設でも考えさせられる、医療の、命の「質」を重視する姿勢を問う課題だと心に刻んだ。現代社会における直線化の文化も、すべてが終わるのではないと考えたい。
 (石川清司、介護老人保健施設「あけみおの里」老年医学)