人選巡る確執があったオール沖縄が、態勢構築の遅れ、自衛隊、安保で摩擦があっても勝てた理由


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確執を乗り越え、手を取り合って当選を喜ぶ高良鉄美氏(右)と糸数慶子氏=21日、那覇市古島の教育福祉会館

 「参院選で何としても高良氏を国政に送り、辺野古新基地ノーという民意を日本政府に突き付けよう」。5月7日、那覇市古島の教育福祉会館で、任期満了を迎える糸数慶子氏は高良鉄美氏と手を取り合い宣言した。糸数氏と高良氏を擁立した社大党との間にあった“確執”が解消された瞬間でもあり、「オール沖縄」態勢の「一致団結」を印象付ける舞台でもあった。

 参院選の人選を巡っては当初、糸数氏の続投が有力視され、糸数氏自身も周囲に4選出馬の意欲を示していた。しかし糸数氏を6年前に擁立した社大党上層部は世代交代などを理由に糸数氏に勇退を迫った。社大と糸数氏との交渉は難航し、平行線が続いた。

 そんな中、他の政党からの助言もあり白羽の矢が立ったのが、琉球大法科大学院教授でオール沖縄会議共同代表を務めていた高良氏だった。高良氏擁立に深く関わった県政与党幹部は「糸数氏を納得させる候補者は高良氏だけだった」と振り返る。

 だが与野党問わず出馬に意欲を示す現職を降ろすのは「並大抵ではなく、支持者からの反発も大きい」(与党幹部)。候補者選考のやり直しを求める団体が発足するなど、「オール沖縄」態勢構築に向けて解決すべき課題は山積みだった。候補者を擁立した社大党に批判が集中し、高良氏擁立から出馬を正式に表明するまでに5カ月もの期間を要し、選挙態勢の構築は遅れに遅れた。

 しかし5月7日の会見以降、選挙戦本番に向けて運動は活発化した。糸数氏も国会活動の合間を縫って東京と沖縄を往復する日々が続き、高良氏も知名度の低さを克服するために糸数氏とのセット戦術を徹底した。

 そんな中、「オール沖縄」態勢に衝撃が走る事態が起きた。6月29日の政策発表会見で高良氏が、自衛隊について「憲法の枠で言うと違憲の問題が出てくる」と述べ、日米安保についても「廃止すべきだ」と答えた。

 会見終了前に保守・中道系市町村議員らでつくる「新しい風・にぬふぁぶし」の金城徹共同代表からの指摘を受け、日米安保についての認識を「将来的に破棄する方向性で議論する」と修正した。

 しかし発言の余波は大きく、安保体制を容認する国民民主党などの各政党には支持者から批判が寄せられた。高良氏を支援する玉城デニー知事が安保体制を容認していることもあり、政党から「配慮に欠けた発言だ」(与党幹部)との批判が相次いだ。

 陣営は火消しに躍起となり、高良氏はその後、相手候補との公開討論会の場などで日米安保や自衛隊への認識を従来の主張から軌道修正するなど、政党間のあつれき解消に腐心した。

 一方、選挙戦は一貫して優位な戦いを展開し、報道各社は「先行」と報じた。しかし、そのためか陣営には緩みも見られた。市町村で開かれた集会では登壇者から「もう大丈夫だ」との発言が飛び出した。

 これに危機感を抱いた陣営幹部は投開票日の5日前、緊急選対会議を開く。照屋義実選対本部長は「敗北した名護市長選を忘れるな」とげきを飛ばした。玉城知事も一部与党県議を呼び出し、陣営の引き締めを図った。

 選挙戦最終盤、安里繁信陣営は高良氏を大きく上回る運動量で圧倒した。だが「辺野古反対」で一致する「オール沖縄」態勢をまとめ上げた高良陣営はその追随を許さず、6万3903票差をつけて逃げ切った。陣営幹部は「勝因は辺野古反対の民意が強固だったこと。それが一番大きい」と分析した。
 (’19参院選取材班)