県民に横たわる分断「乗り越えたい」 翁長雄志前知事が09年のインタビューで本紙に語ったこと


社会
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普天間飛行場の硫黄島移設案について松沢成文神奈川県知事(当時、右)に説明する翁長雄志那覇市長(当時)=2006年1月20日、神奈川県庁

 翁長雄志前知事は2009年の琉球新報のインタビューに「県民の心を一つにすることが大切だ」などと答えている。その部分のやりとりは次の通り。 (聞き手・小那覇安剛)

 ―普天間飛行場の硫黄島移設という発想は以前からあったのか。

 「稲嶺恵一知事(当時)と訪米した時から頭の中にあった。稲嶺さんは小泉純一郎首相(当時)の『負担軽減』という言葉に期待していた。ただ県民から何も発表(提案)しないまま米軍再編が決まっていくのは、県民としても政治家としてもやるせない」

 「那覇市長としては自殺行為だ。那覇空港を有事の際に(米軍が)『使え』という話だから。硫黄島だけでは普天間の機能はカバーできない。那覇空港の沖合展開は、当時はまだ見えていなかった。那覇市長として早く平行滑走路を造り、自衛隊には沖合の滑走路を利用してもらう。有事法はできているので、有事には硫黄島などに分散している米軍が戻ってきて那覇空港を使ってもらうというところまで譲歩した」

 「石原慎太郎東京都知事(当時)は『米兵のライフスタイル(生活様式)が許さないだろう』と言ったが、それなら嘉手納町民、宜野湾市民の生活はどうなるのか。そんなことで日本の安全保障が沖縄に負担を一極集中させ、日米安保は万全と言えるか。東京では首相になる前の福田康夫さん(当時は元官房長官)とも1時間、話をした」

 「台湾海峡の米原子力潜水艦には広島原爆の数千倍の威力がある核ミサイルが搭載されているという。中国も核ミサイルを持っているだろう。落ちれば1発で沖縄は海に沈む。こんなところで何が抑止力か。米軍が硫黄島まで下がることも提案する価値はある」

 「県内市町村長とも話をしようと思っていた時に胃がんになった。入院、手術がなければ動き続けた」

 ―県内移設反対の県民大会は超党派だった。

 「根底にあるのは県民の心は一つということだ。基地は県民が持ってきたものではない。『銃剣とブルドーザー』でやられたところで生きる県民が、選挙の度に憎しみ合うことが小さい頃から体に染みついている。何とか乗り越えたい。これ(基地問題)は日本の問題だ」

 「闘うのは簡単ではないが、県民が心を一つにするのが大切だ。何かの時に大きな力を発揮する。本当の敵はどこにいるのか、よく見てやらねばならない。戦後は(保革)両陣営、敬意を表しながら手を握るのも当たり前だった」