ある日本人記者の沖縄観(上) 「国王」の説明は不誠実<佐藤優のウチナー評論>


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 翁長雄志前県知事が亡くなってから8日で1年になった。この機会に、ある日本人新聞記者の言説を手掛かりにして、主観的に沖縄の側に立とうと努力している日本人の沖縄観に対する筆者の違和感を率直に述べたい。2日、筆者の許(もと)に朝日新聞西部報道センターの上遠野郷記者(元那覇総局長)からの手紙が届いたので、紹介する。

 〈6月29日付の琉球新報に掲載された弊社宛ての「公開書簡」について、ご回答差し上げたいと思います。

 ご指摘いただいたコラムは、6月23日にあった沖縄全戦没者追悼式において、玉城デニー知事の平和宣言を聞いて私が感じたことをまとめたものです。論の趣旨としては、「こわもて」の翁長雄志前知事と、「マイルド」な印象の玉城デニー知事のキャラクターを比較しながらも、沖縄への構造的差別が続く現状について本土側の人間が問われていることは何も変わっていない、という感想を綴(つづ)ったつもりでした。

 つまり、翁長氏から玉城氏に知事が代わり、本土から見える沖縄県知事の印象が変わったからといって、私たちヤマトの人間の責任は何一つ軽くなったわけではない、ということを伝えたかったのが私の本意です。慰霊の日の報道を通し、辺野古に土砂が投じられ続ける現状について本土の読者にあらためて考えてほしいと考え、コラムの最後に「沖縄が日本に甘えているのか、日本が沖縄に甘えているのか」という翁長氏の言葉を引用しました。そのうえで、ご指摘のあった2点について、お答えします。

 (1)『(翁長前知事に対して)「沖縄ナショナリスト」「現代の琉球国王」と批判的に語られることも少なくなかった』について

 翁長氏を「琉球国王」などと椰楡する意見自体は、一部の書籍やインターネットのSNSなどで散見されていました。また、私自身が日々取材活動をする中でも、そうした言葉を使う人がいました。

 ただし、この一文は、翁長氏の姿勢は一部から強い反発も生んだ、という現象について記述したものであり、翁長氏が実際に「国王のようだった」「専制君主だった」などと指摘しているものではありません。また、そうした「国王」といった批判や揶揄(やゆ)を、翁長県政に対するまっとうな指摘・分析だと評して取り上げたものでもありません。「複数の具体的な挙証を」とのご指摘については、取材の経緯にかかわることですので、回答は差し控えます〉。

 翁長氏が「こわもて」、玉城氏が「マイルド」という二項対立にそもそも違和感を覚えるが、上遠野氏が「本土側の人間として」沖縄に対する自責の念を強く覚えていることはよくわかる。

 それに対して、「現代の琉球国王」と記したことに対する説明は、論理的でなく、かつ不誠実だ。書籍やインターネットのSNSが情報源ならば、それは公開情報なので、「翁長氏に関してこの本に琉球国王という表記があった、ウエブでもそう記されていた」と明示すればよい。上遠野氏がどのような情報で沖縄を判断しているかがわかる。

 また、取材の経緯(すなわち情報源の秘匿)を理由に挙証を拒否するのは記者倫理にもとる。

 固有名詞は出さなくても、どのような傾向の人が、どういう文脈で語っていたかについて述べることはできるはずだからだ。

  (この項続く)

(作家・元外務省主任分析官)

(琉球新報 2019年8月10日掲載)