社会

ヘリが飛ぶたび身構え 昔の記憶がフラッシュバック 消えぬ恐怖 沖国大ヘリ墜落15年

学生への意識調査資料を手に、窓から空を見上げる上江洲薫さん=宜野湾市の沖縄国際大学

 1982年7月20日、住民が寝静まった午前0時半ごろ、米軍普天間飛行場所属の米兵4人が乗ったヘリコプターUH1Nヒューイ1機がエンジントラブルで、具志川市(現うるま市)高江洲の民家からわずか10メートル先のサトウキビ畑に突っ込んで不時着した。乗員2人がけがをした。炎上はなく住民への人身被害はなかったが、ヘリは使用不能となった。

 「ヘリが落ちたよ」。沖縄国際大学で経済学部教授と図書館長を務める上江洲薫さん(50)=うるま市=は当時、中学生だった。寝ていたところを家族に起こされた。父は「助けに行ってくる」と出ていった。現場は自宅から約100メートル先。2階の自室から、機体周辺で懐中電灯を持って集まる人々の様子を見詰めた。

 37年前に起きた事故を機に「『ヘリはどこにでも落ちる』ことを刷り込まれた」と話す上江洲さん。15年前、また墜落事故は起きた。2004年8月13日、沖国大の非常勤講師だった上江洲さんが那覇市にある妻の実家を訪れた時、大学でのヘリ墜落を知らされた。昔の記憶がフラッシュバックした。


民家に接するサトウキビ畑に突っ込んで不時着したUH1Nヒューイ=1982年7月、具志川市(現うるま市)高江洲

 真上をヘリが飛ぶと体が身構え、通り過ぎるのを待ってしまう。部長を務める硬式野球部がグラウンドで練習中、ヘリが上空を飛ぶと「落ちたら学生を避難させないといけない」と無意識に反応する。機体が見えなくなるまで警戒する癖がついた。

 昨年図書館長となり、事故のあった13日に開催する普天間飛行場の閉鎖を求め平和を発信する集いを担当する。事故から15年となるのに合わせ、学生の意識調査と、事故時から在籍する教職員へのインタビュー映像の記録を始めた。

 集いの開催に向け、イベント企画の募集を5~6月、学生に呼び掛けたが、反応がなかった。それをきっかけに事故に対する「意識が薄れているのかと感じた」。意識調査の結果、集いを知らない学生が7割に上るなど課題が浮かび上がった。

 一方、事故を風化させず体験を継承していくために、学生が事故に関する講義を求めたり、インタビュー映像を見たいと答えたりするなど、継承に向けたヒントもあった。

 「関心は高いが、きっかけがない。知る機会を増やすことが大事だ」と今後の対策を考える。13日の集いを通し「学生をはじめ、沖縄や米国、海外の人々が普天間飛行場の危険性を理解し考えてほしい」と願っている。
 (金良孝矢)

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 沖縄国際大学にCH53Dヘリコプターが墜落した事故から13日で15年となる。普天間飛行場所属機による墜落や落下物などのトラブルは後を絶たず、危険性は除去されていない。宜野湾市民らの我慢が限界に達する中、墜落の記憶が継承されていない懸念もある。市民や大学関係者の思いを紹介する。