「墜落の危険がない暮らしを」 沖国大ヘリ墜落事故15年関係者座談会


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 【中部】宜野湾市の沖縄国際大学に米軍普天間飛行場を飛び立ったヘリが墜落してから13日で15年を迎える。琉球新報が市内で開いた座談会には、大学や市内の関係者4人が出席した。名護市辺野古への普天間飛行場移設は別問題として早期閉鎖を求めつつ、改めて墜落事故を振り返る必要性を確認した。

宮城 隆尋(中部報道部長)

<出席者>
石川朋子氏 沖縄国際大学非常勤講師
神谷武宏氏 緑ヶ丘保育園園長
佐渡山美智子氏 同大非常勤講師、フリーアナウンサー
田中健二氏 弁当屋「パブロ」店長
 司会・宮城隆尋琉球新報中部支社報道部長

石川 朋子氏

◆沖縄の現実見せられた/石川朋子氏

 当時大学の広報課におり、ヘリ墜落直前まで本館にいた。所用で大学を車で出ると、ヘリの黒い影に覆われた。爆発音がした。留学生アルバイトがいたので本館に飛び込んだが、皆避難していた。米兵がヘリを囲い、カメラを向けると遮断した。沖縄が置かれている現実を見せられた。大きな影響を受けた体験だ。

 ヘリ墜落5年目から平和学ゼミで報告書をまとめた。宮森小米軍ジェット機墜落事故から50年目と重なり宮森の調査もした。宮森は命の問題で、風化という言葉は決して当てはまらないというのが結論だ。

 沖縄の状況がなぜこうなったのか、立ち返らないといけない。ゼミ生と調査する中で知り、記憶にとどめ伝えることは非常に重要なことだった。

 基地問題の講義を持っているが、学生は決して無関心ではなく私は悲観的ではない。今は風化やヘリ墜落が何であるかを考えるきっかけの時だ。

 普天間飛行場は返還することが大前提である。名護市辺野古沖を埋め立てて移設するのは違う話だ。辺野古の自然は沖縄にとって財産になり得る。日本国においても大切な財産だということを共有できる主張が解決につながると考える。

神谷 武宏氏

◆事故のつながりを意識/神谷武宏氏

 福岡の大学で学び直しをしていた時に墜落事故が起きた。大変なことになったと驚いた。西日本新聞で大きく取り上げられたが、連続しての掲載はなく、沖縄の友人から情報を得た。いつか落ちるだろうという危機感はどこかにあった。

 宜野湾市新城で生まれ育ったので、基地は山がそこにあるように自然の光景だった。危険なものを危険と常に意識していては生活できない。

 子どもたちも同様だ。初めてオスプレイが飛んでいるのを見た時は叫んでいたのが、今では何も感じていない。これが沖縄に70年以上基地があり続ける現状だ。

 2017年に米軍機の部品が緑ヶ丘保育園に落下した。60年前には宮森小米軍ジェット機墜落事故、その2年後には川崎ジェット機墜落事故が起きた。一つ一つの事故ではなく、全て線でつながっていることを意識しなければならない。

 基地被害は、基地の外で起きている。事故は米軍機が飛んでいるゆえだ。「空を飛ぶな」という人権を守るための主張は続けていかなければならない。政治の問題として片付けてはいけない。これは命の問題だ。そのことについて話せる土壌づくりが大切だ。

佐渡山 美智子氏

◆実相継承へ学生が力に/佐渡山美智子氏

 事故当時は沖縄国際大学の外部講師だった。講義の打ち合わせのため大学へ行く予定だったが、ニュースを見て驚いた。開始が1時間ずれていたら事故に巻き込まれていたかもしれない。これだけ基地が集中する沖縄。いつか米軍機が落ちるのではという危機感はあったが、実際に起こった。改めて私たちの生活がいかに危険にさらされているのか、恐怖とともに実感した。事故直後は情報が錯綜(さくそう)する中、教え子の安否を心配して過ごした。人的被害がなかったことは奇跡だ。

 事故の実相を継承していこうと朗読ライブ「VOICE・ぼくらが繋ぐ明日へのバトン」を企画、2015年から毎年実施している。学生らと事故について調べる中で宮森小ジェット機墜落事故にも突き当たった。

 戦後70年、沖縄がどれだけの痛みを負ってきたのかを伝えるために、学生の強い要望で朗読には宮森事故の証言も盛り込むことになった。初ライブ後に学生が「これからは私たちが伝えていく」と力強く語ってくれた。これが学生の力だと思った。誰かに教えてもらうとか、初めて分かりましたで終わるのではなく、自ら伝えていく役割を担うと言ってくれたことが一番大きな成果だ。

田中 健二氏

◆人権無視の危険な基地/田中健二氏

 事故の時はものすごい音がして、店で食事していた学生たちも外に飛び出した。向かいの大学から黒煙が立ち上り、数分で米兵が現れて現場を規制した。米軍は消防も警察も現場に入れなかった。店の前にも米兵が立って「閉めろ」と要求された。すぐ近くの自宅にいた子どもたちの無事を確認したが、飼っている犬は玄関のひさしに上って鳴いていた。それ以来、犬はヘリが飛ぶ度におびえて逃げようとする。

 数日後に現場で防護服を着た米兵が作業しており、ヘリに搭載されていた放射性物質が蒸発していたことが後で分かった。そんな危険なものが毎日頭上を飛んでいたとは知らなかった。死者が出なかったのが不思議に思えるほどの事故だ。

 現在も毎日ヘリが頭上を飛んでいる。大部分の国民は街の真ん中に基地がある危険性を知らないはずだ。こんな基地は日本のどこにもない。米国ならすぐに飛行禁止になるはずだ。戦後の沖縄の人々はこれほど危ない場所に住まざるを得なかった。沖縄の人権は無視され、植民地扱いだ。これを許しているのが日本政府だ。

 普天間基地は移転の問題ではなく、すぐに飛行を停止し、閉鎖すべきだ。