ある日本人記者の沖縄観(下) 沖縄ヘイトに寄り添った<佐藤優のウチナー評論>


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 筆者の元に2日に届いた朝日新聞西部報道センターの上遠野郷記者(元那覇総局長)からの手紙の続きを紹介する。

 〈『沖縄がヤマト(本土)に問いかけているもの自体は、何も変わっていない』について

 ここでは、沖縄の知事が代わったからといって、「沖縄」が私たち「ヤマト」に問いかけているものは何も変わっていない、ということを述べたつもりでした。沖縄になぜ基地がこれほど集中したままなのか。なぜ数々の選挙や県民投票で民意が繰り返し示されているのに、辺野古の海に土砂が投じられ続けているのか。沖縄戦から74年も経ってなおも固定され続けようという構造的な沖縄差別について、日本国民一人一人がどうやって気付いていけるのか。そうした問題意識について私の所感を述べたものであり、翁長県政と玉城県政の違いについて論じたものではありません。〉

 ここから上遠野氏が沖縄に「寄り添おう」と誠実に考えていることがわかる。ちなみに筆者は、翁長県政と玉城県政の間には、違いがあると思っている。翁長雄志氏にとって、沖縄の自己決定権は「沖縄人の手によって」実現されるべきだという思いが強かった。この点で、玉城デニー知事との間には温度差が少しだけあるように思える。

 玉城氏は、沖縄人、米国人、日本人などの属性にかかわらず、政治的に自らの立場に近い人々を結集することで沖縄が抱えている課題を解決すべきという普遍主義の立場をとっているように筆者には見える。

 これに対して翁長氏にとって死活的に重要だったのは沖縄人としてのアイデンティティーだった。沖縄文化に政治を包み込んでいこうとする翁長氏の路線に筆者は強い共感を覚えた。日本人や米国人の有識者の助言も必要なときもあるが、意思決定の中核は沖縄人によって行われることが不可欠と筆者は考える。だから筆者は玉城県政から距離を置いている。

 さて、沖縄に対して、寄り添おうとした上遠野氏が、なぜ翁長氏について〈「沖縄ナショリスト」「琉球国王」と批判的に語られることも少なくなかった〉というような記述をしたかについて筆者の見方を記す。上遠野氏はバランスを取ろうとしたのだと思う。解説を書く際に、玉城知事を称揚するという狙いが先にあり、その場合に保守陣営の一部から生じるであろう「この記事は偏向している」という批判があることをあらかじめ想定して、翁長氏についての批判言説を紹介することにした。

 そのときネトウヨや沖縄ヘイト言説を展開する人たちが用いる「琉球王」という言葉を思い出し、それを「琉球国王」と表記したのであろう。その結果、上遠野氏が寄り添う対象は、保守陣営の一部や沖縄ヘイト言説を展開する人々になってしまった。そのため上遠野氏の言説に「ざらざら」した感じを沖縄人読者が覚えたのだ。

 翁長氏は故人だ。死者は反論をできない。もし、翁長氏が生きていて、〈「琉球国王」と批判的に語られることも少なくなかった〉という記述を読んだならば、筆者に電話がかかってきたと思う。「佐藤さん、こんな批判があるんですけれども、誰が僕を『琉球国王』と批判しているのでしょうか。具体的に何が問題なのでしょうか」と尋ねたと思う。こういう想(おも)いがあるから、筆者は上遠野氏に宛てた公開書簡を書いた。

 回答してくださった上遠野氏にあらためて感謝申し上げます。

(作家・元外務省主任分析官)

(琉球新報 2019年8月17日掲載)