慰霊の日、沖縄コンベンションセンター。スポットライトを浴び、肩からアコースティックギターをぶら下げ、ミュージシャンの春翠(しゅんすい)(34)=岐阜県出身、与那原町=は「Beautiful life」(素晴らしき人生)と何度も歌い、繰り返していた。
ステージの翌日、フェイスブック上で一つの告白をした。「僕は薬物依存症者です」。10年間隠し続け、今だからこそ、やっと伝えることができた。「もともと沖縄に来たのは薬物依存の治療のためだった。ずっと本当の理由をごまかしてきてごめんなさい」
春翠が初めて薬物を経験したのは、米国だった。
高校、大学と打ち込んだ音楽活動。卒業後はミュージシャンとして生活していくことに何の疑いも持っていなかった。こんなに頑張ってる、プロになれる。しかし、思い描いた自分とは程遠かった。「もう駄目なんだ、夢が終わるんだ」。逃げるように米国へ渡った。
友人に誘われて参加したバーベキューで回ってきたのは、大麻だった。川原には地元の人もたくさんいた。米国ではわりと一般的な光景だ。興味本位で吸ってみると、これまでずっと抱えていたむなしさ、寂しさ、無力感が、ひとときの間だけすーっと消えた感じがした。
自ら大麻を買うまでに時間はかからなかった。毎日の仕事は淡々とできている。生活するのに支障はない。「依存症なんて言葉、頭によぎったことはなかった」
帰国し「ないならないで困らない」とも思っていた大麻を、無意識に探していた。満たされない心が求めていた。違法なのは知っていた。自分にも社会にも、罪悪感があった。すぐにでもやめたかった。
そんな中で知った「脱法ドラッグ」。当時は店頭でも気軽に購入することができた。「違法ではない。これなら大丈夫だよな」と自分に言い聞かせ、使い続けた。すぐにやめられる、と心から思っていた。合法だしやめる必要がない、とも思っていた。
しかしいつしか、時間もお金もドラッグ中心の生活になっていった。心身ともに苦しくなるが、この苦しみを消せるのはドラッグだけという無限ループ。もう何度もやめようと思い、薬物も用具も全部捨てた。でもやはり数日後には買いに行っていた。
26歳の時だった。自宅前に停めた車の中でドラッグを使いながらついに初めて、自覚した。「本当にやめられないかもしれない」
薬物を使用していることを打ち明けていた親友には「もう二度と使わないでほしい」と言われ「もう使わないよ」と話していた。
心配する親友から、ある日電話がかかってきた。「もう使ってない?」「うん、使ってないよ。大丈夫だよ」。その時、春翠がいたのはドラッグを売る店のトイレだった。
多くの人を裏切り傷付けてしまっていた春翠の元からは、一人、また一人と大切な人が去っていった。
(敬称略)
◇ ◇ ◇
満たされない心を埋めるため、薬物に手を出して依存症になってしまった一人の男性。もう一度幸せを取り戻そうと沖縄に渡り、矯正施設で仲間に支えられながら克服していく軌跡に迫った。
(長濱良起通信員)