つらい記憶、継承決意 小瀧千代子さん(86)戦争体験語る


この記事を書いた人 Avatar photo 米倉 外昭
犠牲となった母ときょうだい4人のみ霊に手を合わせる小瀧千代子さん=27日、サイパン

 「絶対に戦争はさせない。記憶が確かなうちに語り継がなければならないという気持ちが強くなった」。小瀧(旧姓大城)千代子さん(86)=東京都=はサイパン島の地上戦で、母ときょうだい4人を失った。戦争体験を語ることをかたくなに拒んできたが、「教訓として伝える必要がある」と考えるようになり、2年前から自身の悲惨な体験を語りだした。27日にサイパン島で行われた第50回全南洋群島沖縄県人戦没者慰霊祭に参列した。

 小瀧さんは、サイパンに生まれ、料亭の料理人として働く父に育てられた。次男は優秀で自慢の兄だった。そんな穏やかな日常を戦争が奪った。

 1944年6月13日、家族は自宅を出て山の中に入り、北部の「千人壕」を目指した。しかし壕内は避難民でいっぱいだったため、そのまま山中を逃げ続けた。

 7月中旬頃、次男兄と姉が水くみから戻らなかった。追い掛けるように水をくみに行った小瀧さんは兄の遺体を見つけた。「盛り土に覆いかぶさっていた。たぶん土の下は姉だったのだろう。兄は姉を埋めて力尽きたんだと思う」

 その後、母と三男兄と山中を逃げたが、機関銃に撃たれ負傷した。気が付くと収容所に入れられていた。以後、聞いた話では母と兄は11月ごろまで逃げ回り、最後は戦車による攻撃で命を落とした。母は内臓が飛び出た状態で横たわっていたという。

 小瀧さんは家族に勧められ、自身の戦争体験をノートに書き記すことはあったが、他の人に見せることはなかった。「当時は信じられないことばかりだった。証言することで傷つく人もいる。悲惨な体験を思い出したくない気持ちもあった」と振り返る。

 しかし、2年前から戦争体験を教訓として語り継ぐべきだという思いから自身の体験を話すようになった。「一緒に生き残った父も軍隊に裏切られた思いを持っていた。平和のためにできることを考えたい」と小瀧さんは語った。