社会

恐らくこれが最後の旅に…遺族男性の祈り深く 激戦地テニアン島で慰霊祭

 【テニアンで謝花史哲】テニアン島南端の東側海岸に建てられた「沖縄の塔」。海岸は「スーサイドクリフ(自殺の崖)」と呼ばれ、米軍に追い詰められた日本兵や住民が崖下の海に飛び込んだ場所だ。「テニアン島沖縄県人戦没者慰霊祭」は28日、澄み切った青空の下、水平線が見渡せる美しい風景の中で行われた。


「最後の慰霊の旅」と強い思いで慰霊祭に臨み、供え物を並べる西田仙正さん=28日、米自治領テニアン

 「恐らくこれが最後の旅になるだろう」。テニアンの慰霊祭に臨んだ那覇市の西田仙正(せんしょう)さん(84)は、そうつぶやき、この地で亡くなったきょうだいのみ霊に祈りをささげた。糖尿病を患い足が不自由だが、会としての現地慰霊祭が最後になることから今回はぜひ参加しようと心を決めてきた。

 テニアン島が戦場になった1944年、西田さんは10歳で、末っ子の弟倖助(こうすけ)ちゃんはまだ生後3カ月の乳飲み子だった。林の中を逃げ続けたが、水不足に苦しんだ。水を探しに壕から出て行く時に、母は壕の入り口に末っ子を寝かせた。持っていたちゃんちゃんこをそっと着させた。「すぐ戻るつもりだったから」

 しかし海辺に出た時に米軍に遭遇。隠れた岩陰に手りゅう弾を投げ付けられ、爆発で姉が頭を負傷し、西田さんも体中に破片が刺さった。動けなくなり、末っ子を置いたまま米軍に捕まって収容所に送られた。

 しばらくして母は米軍に許可をもらい、末っ子のいた場所を探し当て、ちゃんちゃんこに隠れていた骨を拾って戻ってきた。沖縄への帰還時には収容所で亡くなった姉と、戦前に病死した妹と合わせて3人の遺骨を持ち帰ることができた。

 慰霊祭には末っ子を1人残したことを悔い続けた母の思いと共に、昨年に続けて参加した。「体力が続く限り供養に来たい気持ちはある。今回、何とか参加することができて本当に良かった」。西田さんは思いを込めて、そう語った。



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