ラオスから学んだ未来 負の遺産、地道な不発弾処理 宮古島市立平良中学校・座安可那子教諭


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 内戦やベトナム戦争など幾多の戦火にさらされ「世界で最も空爆された国」とも言われるラオス。負の遺産・不発弾は今も多くの人の命を奪っている。経済発展のまっただ中だが、水道などのインフラ整備は遅れ、子どもたちの教育環境も十分とは言えず、課題は多い。JICA沖縄国際センターの事業でラオスを訪問した県内の教員に、持続可能な開発目標(SDGs=エスディージーズ)の視点でラオスの現状を報告してもらった。

地雷の鉄くずから作られたスプーンなどの商品。障がい者施設等の資金造成に活用されている

 私がラオスで最も痛感したのは、日常生活の中で不発弾により多数の人が命を落としており、今もって戦争に終わりがないことだ。

 沖縄でも戦後74年という月日を迎えているが、不発弾による事故、基地問題、飛行機墜落事故、貧困など生活に不安を抱えながらも県民で力を合わせてたくましく生き抜いてきた。

 ベトナム戦争では、戦後も生活に支障を来す効果も狙って7千万トンの不発弾が投下され、ラオスに負の財産が残った。全てを取り除くためには100年を要すると予測されながらも、SDGsの18番目の目標に掲げ地道に撤去作業に取り組んでいる。地雷の鉄クズを使ってスプーンやフォークなどの商品にし、生活の足しへと変えてたくましく生き抜いていこうとする姿は、戦後復興した沖縄の祖先たちの姿と重なり胸が熱くなった。

空爆から逃げ惑う親子の銅像。素材には不発弾を使用している=首都ビエンチャンのコープビジターセンター

 しかし、輸血ができないため治療ができなかったことや治療できる設備のある病院を探している間に命を落とすことがたびたびあるラオス社会を垣間見て、「日本にいれば…」と話を聞くたびに歯がゆい思いだった。と同時に、安心・安全な暮らしができる環境は日本に住んでいるからであり、今の私には自分一人ではつくることができない安全だと気付かされた。

 自分を守るために、大切な人を守っていくためには「自分中心の考えから周りに目を向けること」「学ぶということが生きることにつながること」「生き抜いていくためには、周りと助け合って生きていくこと」がとても大切だと学んだ。どんな環境でもたくましく力強く生き抜く沖縄の子どもたちを育てたい。